板垣李光人 (C)エンタメOVO
戦争がもたらす狂気を圧倒的なリアリティーで描き、第46回日本漫画家協会優秀賞を受賞した武田一義の戦争漫画をアニメーション映画化した『ペリリュー ―楽園のゲルニカ―』が12月5日から全国公開された。太平洋戦争末期、激戦が繰り広げられたペリリュー島を舞台に、死んだ仲間の最期を書き記す「功績係」を務める日本兵・田丸を主人公に、極限状態の中でも懸命に生きた若者たちの姿を描いた本作で、田丸の声を担当した板垣李光人に話を聞いた。
-オファーがあった時の気持ちはいかがでしたか。
自分自身が戦争に対して今までどのように向き合ってきたのかというと、教科書の中で学ぶものだったり、漫画『はだしのゲン』など、学校図書にあるものを読んでみたり、映画『火垂るの墓』(88)を見たりしたぐらいで、実際に戦争を体験された方からお話を伺う機会もありませんでした。けれども、近年、他の国で起こっている惨状などが連日報道されているのを目にすると、今までフィクションとして捉えていたものが、だんだんとノンフィクションとして自分たちの生活や人生の中にも迫ってきているような感覚があります。そんな中で、終戦80年というところでこの映画のお話を頂いて、新しく知ったことがたくさんありました。自分がそれを知って、この作品を届けることで、作品を見た方が戦争について知るきっかけにもなる。その役目の一つを担えることは、とてもありがたいことだと思って今回お受けしました。
-初めて脚本を読んだ時の印象は?
原作を読むと、三頭身の絵柄がかわいらしくて、ほんわかとした絵柄の中で描かれていく中でも、実際にあった惨状がリアルに描写されているからこそ、こちらも想像ができるのだと思いました。感情の部分や、彼らがどう思いながらこの状況を過ごしているのかという部分は、人物がリアルなタッチで描かれていたらまた違うだろうなと思いました。武田先生が描かれたものだから、余計に現実が想像できるし、突き付けられているという感じがします。原作自体もすてきだと改めて思いましたし、11巻もあるので、それをどのように脚本としてまとめるのだろうという興味があったのですが、田丸の視点に絞ることで、見てくださる方もより感情移入がしやすくなったと思います。視点がたくさんあると、どこに自分が入っていいのか分からなくなるので、一人の視点に絞って映画にすることで、伝わりやすくなるだろうと思いました。
-今回は戦争映画でありながら、キャラクターのかわいさというギャップがある中で、声優としてはとても難しい作業になったと思いますが、その辺りはいかがでしたか。
三頭身の絵柄であることに関しては、それほど意識はしませんでした。というのも、武田先生と初めてお会いした時に、僕が素で話している動画を見てくださって、「田丸はこの声だ」と思って声を掛けてくださったというお話を伺ったので、特に作らずにいつも通りにやればいいんだという気持ちはありました。だから声を作るという部分では特に難しかったり、意識した部分はなかったのですが、やっぱり戦争の映画となると、戦うシーンが出てくるわけです。そこでの息遣いとか、息を声として音にしなければならないので、実写の作品だったらそういう部分は体の動きに付いてきたり、力む時などは音にはならないのですが、その部分を音として表現することが、この作品ならではの難しさだったかなと思います。
-戦場で、田丸が絵や漫画を描くことにどのような意味があったと思いますか。
功績係に任命された田丸には、もちろん何かを書き記すという使命感もあったでしょうが、いつ自分や仲間が命を落とすか分からない状況の中で、自分の世界の中で向き合えるものがあることは、メンタル的には心強いものがあったと思います。原作を読んだ時にも思いましたが、田丸は絵を描くことが本当に好きなんだというのは伝わってきました。そういうものを戦場でも大事にできたことは、今の価値観や感覚では測れるものではありませんが、兵士ではない21歳の等身大の自分に戻れる時間でもあったのかなと思います。
-功績係という役割についてはどのような印象がありましたか。
そこは田丸と感覚は近かったと思います。僕もこの作品に出合って、初めて功績係というものを知ったので。この当時は、国のために命を落とすことが何よりも誉れとされる時代なので、うそも交えながら、いかに勇士として遺族に届けるかということです。その是非については、当時もそうですし、今もなかなかはっきりとは白黒が付けられないという感覚はあります。うそをつくことはもちろんいいことではありませんが、ただ、そのうそによって残された家族が救われた気持ちになるのであれば、それは必ずしも悪いとは言い切れないし、非常に複雑な思いがします。
-実際にペリリュー島に行ったそうですが、それはこの映画のためでしたか。
はい。やはり声だけの芝居というのは、普段自分がいる環境からすればイレギュラーなものなので、ブースの中でマイクとモニターに向き合うという部分では、相当自分のイマジネーションを働かせないとできないので、そういう意味でも、実際ペリリュー島に行って、千人洞窟という兵士たちが潜伏していた場所の中に入って、まだガラスの破片や、痕跡みたいなのがそのまま残っているのを見たり、洞窟の中の気温や湿度も感じました。森の中を歩いていても戦車がそのままの姿で残っていたりとか、そういうものを実際に目にして、自分の肌で感じていると想像もしやすいですし、自分の目で見て確かめているからこそ、せりふではなくきちんと言葉として出てくる部分もあります。あとは、例えば歴史上の人物を演じる時にはお墓参りをしますが、それは、一緒に芝居をするのに共演者の方にごあいさつをしないまま芝居をするみたいな感覚があるからです。今回もそういう意味も含めてうかがったというのもありました。
-現地を訪れたことはアフレコに影響を与えましたか。
実際にアフレコをする時に、自分の中で現地を訪れたことが大きく作用しました。絵コンテの状態のものが映像としてつながっているだけだったのですが、それでも実際に自分の目で見た景色や、肌で感じた温度や踏みしめた地面などの感覚があるのでイメージしやすかったです。
-これから映画を見る観客や読者に向けて、一言お願いします。
原作の魅力の一つでもある、絵柄的にも間口が広いところは、しっかりと踏襲しています。内容としては当時の現実が重く胸にくるものにはなっていますが、気軽に劇場に足を運んでほしいと思います。そうすれば、自分たちの世代もそうですけど、いろんな世代の方に、知っていただけるきっかけになるんじゃないかなと思うので。だから、絵柄がかわいいからとか、何か面白そうだからぐらいの気持ちで見に来ていただけたらうれしいです。見に来てくださった方が、こうした出来事を知ってくださった上で、では自分はこれをこういうふうにつないでいこうかと考えてくだされば、それはすごくうれしいことです。だからまず、知るきっかけの作品となればいいなと思っています。最初から、戦争を考えて見るのではなく、実際に見て感じたことを広めていっていただければ、それが一番うれしいです。
(取材・文・写真/田中雄二)







