堤幸彦(左)と高橋克典 (C)エンタメOVO
元禄時代に実際に起こった仇(あだ)討ちを題材に歌舞伎などで取り上げられて以来、何度もドラマ化、映画化、舞台化されてきた屈指の名作「忠臣蔵」が、上川隆也主演、堤幸彦演出によって舞台化される。今回、吉良上野介を演じるのは、高橋克典。高橋はデビュー作以来の堤とのタッグになる。高橋と堤に本作への思いを聞いた。
-まずは本作への意気込みを教えてください。
堤 私ももう何十年もこうした仕事をしていますが、まさか「忠臣蔵」に携わることができるとは思ってもいませんでした。「忠臣蔵」は、演劇的に言えば1丁目1番地的な作品です。1番の基礎固めになるのか、あるいは新たな出発になるのかは分かりませんが、とにかく全身全霊をかけて、一語一語、大切に作っていきたいなと思っています。
-やはり「忠臣蔵」というのは特別な戯曲ですか。
堤 そうですね。歌舞伎においても新春特別公演と銘打って上演されるような作品ですから。日本の舞台表現の基本なのではないかと思います。
-高橋さんは吉良上野介役を演じます。ご出演が決まっていかがでしたか。
高橋 「忠臣蔵」と聞いて、てっきり大石内蔵助役だと思っていました(笑)。吉良上野介だというので「え?」って。
堤 あはは(笑)。本当は嫌なんですか?
高橋 本当は嫌です(笑)。だって、僕の人生で「忠臣蔵」をやるなら内蔵助だと思っていたんですから。かつて僕はある大物俳優さんの付き人をしていた時代があったんですよ。付き人は3日くらいでクビになったんですが、当時は「俺は付き人になる人間じゃない。付ける側の人間だ」と何の保証もないのに思っていたわけです。そして、それを目標にここまでやってきましたが、ここにきて、一番大きく裏切られたのがこの吉良上野介というキャスティングです。まさかの吉良だったんですよ。
堤 でも、殿様には間違いないですよ? ずっと殿様やりたいって言ってたじゃないですか。
高橋 言ってないですよ(笑)。
堤 僕には言ってましたよ。どの殿様かは知らないですが(笑)。
高橋 そんなこともあって、初めは僕も吉良に対しての知識があまりなかったんです。これまで何度も演じられてきた「忠臣蔵」ですが、表面から見ると吉良上野介は悪者で、最後は情けなく斬られるじいさんというイメージしかなかった。ですが、吉良のバックグラウンドなどを調べていったら、これが全然違うんです。
堤 何十年も本当に真面目に働いていらっしゃった人ですから。(本作の中で)一番、面白い役ですよね。
高橋 そうなんですよ。吉良側にも理由があるんです。それを面白おかしく作り上げてしまったというのも一つの文化であり、浄瑠璃や歌舞伎なんですよね。なので、そうした中に現代なりの解釈をどこかに盛り込めたらと思っています。それから、やっぱり堤さんが演出されるのでストレートにやるとおっしゃっていても、きっと何かやってしまうんではないかと。
堤 やらないです(笑)。想像通りだと思ってください。
-そうすると、高橋さんがこの作品に大石内蔵助役でなくても出演しようと思われたのは、吉良上野介にも背景があるというところに引かれたからなのでしょうか。
高橋 まずは「忠臣蔵」という作品に関わりたかったからです。それから、吉良という役は確かに一番面白い役なんじゃないかと思ったからでもあります。この作品はどうしても登場人物が多いし、エピソードも多いので、忙しい作品作りになるんですよ。その中でも吉良は面白い役になると思います。単に意地悪なじいさんではなく、きちんと事件の背景があるというのを示したいです。実は先日、愛知県にある吉良町という場所に行ってきたのですが、そうした彼の背景を調べてきちんと入れ込みながら、「これは吉良の物語でもあるのだ」と感じていただけるような芝居をしたいです。
-堤さんと高橋さんは高橋さんのドラマデビュー作以来のタッグと聞いています。堤さんは高橋さんの吉良上野介にどのような期待を寄せていますか。
堤 ぴったりだと思いますよ。生き馬の目を抜く芸能界で酸いも甘いも知り尽くしていますから。デビューの瞬間を見させていただいて、そこから始まっていますが、30年経って、吉良の殿様と舞台の演出家になっているというだけで私は感動しています。
-令和の今、この「忠臣蔵」を上演することに対しては、どのような思いがありますか。
堤 今だからこそということをあえて言うとすれば、現代はどこか妙に人心が浮ついているところがあります。非常に大事に考えなくてはならないことが日々、巻き起こってはいるのだけれども、しかし、どこか自分事ではないみたいなところがある。そういう時代に対して、この「忠臣蔵」も実は同じような時代かもしれない。浮ついたという表現はよろしくないが、しかし大事にしなくてはならないことが筋から少しずれている、そんな時代だったのかもしれません。そうした時代において、「家を大事にする、殿と命運を共にする」という、非常に古色蒼然とした、アナクロな世界観に身を投じるというのは明らかに今も過去も相当不思議な行動なわけです。じゃあ、それが何故300年以上も戯曲として愛され、あるいは事実として解明する人が増えているのか。そこには、何か日本人の生き方の根源、そしてエンタメに対する日本人の大元があるような気がしてならないです。そこを私自身もやりながら突き詰めたいと思っています。
高橋 忠誠心というものは、美しくもあり、非常に危険でもあります。そして、どっちサイドから見るかによっても何が真実かは変わってきます。そのあやふやさに胸をモヤモヤさせてほしいなと思います。本当にこれでいいのだろうかと。ただ単に吉良が悪者で、意地悪でムカつくじいさんという作られ方をされてきていますが、そうではないということも感じてほしいんです。今の時代はもしかしたら、古く固まっていたものに対して、何かを覆すべきときであるかもしれないし、そうしたことを画策している人がいるかもしれない。
堤 この討ち入りは、当時もスキャンダラスな事件だったと思います。浅野内匠頭は吉良上野介の額を斬りつけた。でも、それ以前に、浅野のことを知っている人はほとんどいないんです。単なる一地方の殿様であって、事件があったからこそ「誰なの、それ」ってざわざわした。でも、吉良さんのことを知っていた人はたくさんいたはずです。10年以上、京都と江戸を行ったり来たりして(職務を全うしましたし)、文献にも残っています。高家として非常に有名だった。ただ、たった一度の事件で浅野も有名な殿様になってしまった。その浮ついた感じ、これがなければ誰も知らないよというところが、今の事件にも通じるところがあると思うんですよね。形を変えた日本人論なのではないかと思います。
高橋 赤穂浪士たちの集まり方を見ても、本当にそれが大義だったのかと考えさせられますよね。盲目的に「われらの殿だ」といっていますが、本当にそこまで忠誠心があったのかなと。(浅野家は)石高を抱えていた兵のバランスはとれていたのか。たった1人の価値観で慣例を覆すには簡単にはいかない。ガマンが足りず、勝手にキレたんでしょう。
堤 あはは。もう批判してる(笑)。もう吉良になっているんだね(笑)。
高橋 筋を通さなければならないところはあるんですよ。それを教育していた係が吉良だったわけですから。
堤 そうだよね、教育はしなくてはいけない。でも、高橋さんがおっしゃったように、どちらから見るかによって変わるというのは、まさに現代にも通じることであると思いますね。
高橋 SNSに集まってきちゃった人たちのように感じるんですよ。そこでちょっとした炎上が起こって、相手の意見の方が強くなってしまった。
堤 だから吉良さんも身を引いて隠居するとなるんですよね。でも、何百年も前と今の状況が同じというのはなんとも言えないですね。もちろん情報伝達の時間は違うけれども、人のうわさやスキャンダルに対して、今もものすごく神経質で、毎日のようにそうしたニュースが走り回っているわけです。そういう意味でも、ある種、普遍性のある物語なのだと思います。
-最後に改めて公演に向けての思いと読者にメッセージをお願いします。
堤 楽しみながら、真面目に向き合っていきたいと思います。ですから、お越しになる皆さまは新たな「忠臣蔵」の一面が見られるとお考えいただいて間違いないです。このストーリーとハラハラドキドキする結末は皆さん知っていますが、それに携わる人間たちの心がぐっと迫ってくる、そういった舞台にしたいと思っております。
高橋 今まで何度も皆さんご覧になってきただろう「忠臣蔵」です。やっぱり面白いなと、何かふに落ちるものもあり、時代が変わってモヤモヤするものもあるのではないかと思います。そうしたものを全部含めて堤演出がフォーカスしてさく裂すると思うので、新しくも古くもあるこの「忠臣蔵」を、ぜひご家族、ご近所、一族郎党で劇場に足をお運びいただければと思います。決して後悔はさせません。
(取材・文・写真/嶋田真己)
舞台「忠臣蔵」は、12月12日~28日に都内・明治座ほか、名古屋、高知、富山、大阪、新潟(長岡)で上演。







