ひとは、相手のことを全く理解できないことに「不安」を感じます。それを、職業や年齢でひとを想像するように、単語でカテゴライズすることで、あたかもその人のことが理解できたかのような気持ちになり安心するのです。

血液型を聞くのも同じ心理です。
血液型を聞き、血液型が示すだいたいのタイプをその人に当てはめ、安心するのです。血液型はどの人種にもあるものですが、血液型でひとを判断する癖があるのは日本だけだそうです。

他国の人々は、「日本人がなぜ血液型で人を判断するのか疑問だ。」と言います。アメリカなどの海外に行くと、相手が知り合いでなくても「その靴かわいいね。」「今日はいい天気だね。」と気軽に話しかけたりする人が多いです。

つまり、相手の素性を知っていなくても、会話することに抵抗がないのです。

なんでもカテゴライズして安心する日本人は、他国から見るとその点少し不思議な人種のようです。
 

3.こんな人もいるのかという発見が楽しい。

○○男子の分類がなんと60種類以上も挙げられているサイトも見かけます。
クリームシチュー系男子、ユニコーン系男子、ピーマン肉詰め系男子など…。
一見単語だけではどういう人のことを指すか、もはや全くわからないものもあります。なぜそこまで細分化するのでしょうか。

そこには、こんなひともいるのかという発見の楽しさがあるからなのです。
世の中には様々なタイプのひとがいるからこそ楽しいのです。

だから、こんなひともいるという新たな発見に名前をつけ、細分化することによって発見を共有することもできます。

 

カテゴライズ単語が量産されることの背景には、ひとを理解したいという欲求や不安があるんですね。

相手のひとの年齢や仕事や趣味で判断するばかりでなく、その前にしっかりコミュニケーションをとってみてください。
自分自身の感覚で、相手のことを知って理解できたと思えたら、その後の相手の方との関係は、もっと素敵なものになると思います。

月の労働時間350時間、音楽プロモーターでワーカホリックだった上にライターを兼業する無謀な87年生まれ。毎日アーティストと飲んだくれ、明け方に帰宅するという生活を5年間続ける。 現在はフリーランスのライター。女性の社会問題・仕事女子の生態・エンタメに従事。