撮影:増田 慶

観客の想像力をひろげる、5人の演技

演技初心者が最もよく陥りがちな失敗は、焦ってすぐに台詞を言おうとすること。平田に言わせれば、俳優は予めストーリーを知っているから、どうしても先を急ぎたくなるし、プロでも喋らないでいることはとても勇気がいるという。だが、平田はこの間は「観客が想像力の翼を広げるための時間」であり、「俳優の生理感覚だけで作っていたのでは、ダメ」だと、著書『演技と演出』の中で書いている。

そして、ももクロの演技を見ていると、その平田の教えが活きていることが如実に分かる。行間や余白を活かした発話によって、観る者が台詞の真意について様々な推測を巡らせることができるのだ。

そもそも、俳優が台詞を言う時の感情は、悲しいから泣く、というような単純なものではない。というか、現実世界においてそうであるように、そんなに単純であるべきではない、と平田は考えている。

例えば、序盤で部員たちに演出をつける高橋さおり(百田夏菜子)は妙にピリピリしているのだが、何故ピリピリしているのかは推測はできても確信はできない。いくつか理由は考えられるが、それは明らかにされないまま劇が進行するのだ。

面白いのは、百田演じるさおりが、部員たちに演出をつける際に「もっとゆっくり」「もっと間を取って」と執拗に連呼するところ。まるで平田オリザが俳優に演出をつける姿を百田が代わって演じるようなメタ構造になっているとも言える。

撮影:増田 慶

また、『幕が上がる』では、平田ならではの演劇手法である“同時多発会話”が用いられていることにも注目したい。複数の会話が舞台上で同時進行するこの手法は、平田の戯曲ではお馴染みのものだが、本作の序盤でも効果的に使われており、独特の効果を生んでいる。この手法がもたらすものについては、平田が『演技と演出』の中で次のように書いている。

<カクテルパーティー効果という言葉があります。人間は、カクテルパーティーにおいて、自分が関心のある話題のほうに近づいていく能力を持っているそうです。ですから私の芝居でも、観客は、自分の興味のある事柄だけを聞いてくれればいいのです。

そんなことでは、あなたの伝えたいことが伝わらないじゃないかという方もいらっしゃるでしょう。しかし私は、何かのメッセージや道徳観を観客に伝えるために、演劇を創っているわけではありません。私は、カクテルパーティーのようなカオス状態を舞台上に提示して、観客に、その世界を様々に感じ取ってほしいのです。

劇場を出て行く観客は、一人ひとり、あたかも違う芝居を観たかのように、感想が異なっていてほしいのです。私にとって、現代演劇とは、混沌とした世界を、混沌としたままに提示することなのです。>(平田オリザ『演技と演出』<講談社現代新書> P.148~149)