展示内容(一部)

<少年期~青年期 鈴木敏夫になるまで>

終戦から3年が経った1948年の夏に誕生。

愛知県名古屋市で、 既製服の製造販売業を営む父の元で生まれ育ちました。

自宅は、 父親の仕事場も兼ねていたため、 母親や従業員も10人ほどと一緒に生活を共にし、 鈴木氏も物心ついたときから仕事を手伝っていました。

小学生時代は、 公園で仲間たちと活発に遊びまわる一方、 漫画と小説、 映画の魅力に夢中に。 鈴木氏の想像力は、 戦後の大衆文化の中で育まれていきました。

<徳間書店時代>

1972年に徳間書店へ入社。 「アサヒ芸能」、 「コミック&コミック」、 「テレビランド」など様々な部署で経験を積み、 世の中が『宇宙戦艦ヤマト』がブームになる中、 1978年にはアニメーション雑誌のパイオニア、 「アニメージュ」の創刊に奔走。

そこで高畑勲・宮崎駿両監督と運命的な出会いをし、 『風の谷のナウシカ』、 『火垂るの墓』、 『となりのトトロ』などの作品製作に関わり、 社会現象ともいえるブームを巻き起こしていきます。

<自分のためでなく他人のために>

鈴木氏はよく、 「制約がある中でやったほうがいい仕事ができる」と言います。 「作る人が自由に好きなものを作っても、 なかなかいい作品はできない。

むしろ、 ある制約をかけられて、 それを克服しながら作ると、 いいものができるんです。 」と。

古くから、 芸術家は注文主(パトロン)の依頼に応じて作品を作ってきました。 その意味では、 プロデューサーである鈴木氏と、 監督である高畑勲氏・宮崎駿氏らは、 パトロンと芸術家の関係に似ています。

一方、 「書」に向かうとき、 鈴木氏は自らの立場を逆転させます。 「自分の気が向くままに書いていると、 どうしても好きな文字だけしか書かない。

ところが、 注文されると、 普段はあまり書かない字に取り組むことになる。 おかげでずいぶん勉強させてもらいました。 」制約があったほうがいい仕事ができる──両方の立場を知る鈴木ならではの至言といえるでしょう。

<ジブリにまつわるエトセトラ>

鈴木氏は、 『風の谷のナウシカ』(1984年)以来、 アニメージュ編集部に在籍しながら、 ジブリ作品の制作に携わってきましたが、 1989年の『魔女の宅急便』を機に、 徳間書店を退社し、 本格的に宣伝とプロデューサーとして仕事を開始します。

自ら「ぼくは編集者型の映画プロデューサー」と言うように、 「言葉」を武器に作家である監督の話を聞き、 作品を理解し、 観客との架け橋を作っていきます。 映画の題字や、 キャッチコピー、 ボディコピーなど、 これまで鈴木が書いてきた資料を通して、 彼が「言葉」を紡ぎだすプロセスや、 プロデューサーとしての「表現」を紹介します。

 一般来場者撮影可能展示

鈴木敏夫氏プロフィール

1948年、 名古屋市生まれ。慶応義塾大学文学部卒業後、 徳間書店入社。 『週刊アサヒ芸能』を経て、 『アニメージュ』の創刊に参加。 副編集長、 編集長を務めるかたわら、 「風の谷のナウシカ」「火垂るの墓」「となりのトトロ」などの高畑勲・宮崎駿作品の製作に関わる。 1985年にスタジオジブリの設立に参加、 1989年からスタジオジブリ専従。 以後ほぼすべての劇場作品のプロデュース。 現在、 スタジオジブリ代表取締役プロデューサー。 著書に『仕事道楽 新版 スタジオジブリの現場』(岩波新書)、 『ジブリの哲学―変わるものと変わらないもの―』(岩波書店)、 『風に吹かれて』(中央公論新社/中公文庫)、 『ジブリの仲間たち』(新潮新書)、 『ジブリの文学』(岩波書店)、 『人生は単なる空騒ぎ―言葉の魔法―』(KADOKAWA)、 『禅とジブリ』(淡交社)、 『南の国のカンヤダ』(小学館)などがある。

 開催概要

会場 : 神田明神 文化交流館「EDOCCO」内 神田明神ホール <御茶ノ水駅 徒歩5分/秋葉原駅 徒歩7分>
会期 : 2019年4月20日(土) ~ 5月12日(日) ※計23日間、 会期中無休
時間 : 10:00 ~ 18:00 (最終入場 17:30) ※営業時間は今後変更になる可能性があります。
入場料 : 当日券: 大人1,300円、 中高生800円、 小学生600円

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