近代化や経済発展のシンボルとして、古来より建造されてきた「塔」。
東京スカイツリーの完成を控えて、我々はなぜ「塔」に惹かれるのかを考察する。

「寒月を背に大東京の夜空に輝く東京タワーを麻布の高台より仰ぐ」 日本電波塔株式会社発行/昭和33年頃/絵葉書/江戸東京博物館蔵
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エッフェル塔から始まった
「塔」のエンタテインメント化

1889年、第4回パリ万国博覧会にあわせて建設されたエッフェル塔。今でこそ、パリの景観には欠かせないおしゃれなランドマークだが、当時の技術の粋を集めて造った、鉄骨むき出しの奇抜な意匠は、パリっ子たちの度肝を抜いた。塔の建築に強力な反対を唱えたのは、文学者のモーパッサンだ。毎日のようにエッフェル塔のレストランに通った彼は、その理由を聞かれてこう答えた。「ここなら、エッフェル塔を見ないですむからね」。

古来、空へ向かって伸びていく「塔」は、その多くが「祈り」の対象として造られている。仏教圏では、釈迦の遺物を納めた「ストゥーパ(卒塔婆)」が、やがて法隆寺の五重塔のような多層塔へと発展し、キリスト教圏における大聖堂の塔は、天上と地上を結ぶ架け橋として高さを競った。ただし信仰を忘れ、技術を過信して神の領域を侵害すれば神罰が下る。天高く「バベルの塔」を築いて神の怒りを買い、言葉をバラバラにされた人間の話は、慢心に対する旧約聖書の戒めだ。

「東京名所浅草公園観世音之真景
小林幾英画/明治25年(1892)/江戸東京博物館蔵
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そんな祈りの象徴を、科学技術の象徴に変えたのが、先のエッフェル塔である。しかも塔には展望台もあり、登って眺望を楽しめる観光名所として、人々を大いにひきつけた。この娯楽的要素を独自に発展させたアミューズメント施設が、明治期、日本にも登場する。そのひとつが浅草にあった12階建ての凌雲閣。世界各国の物販店やエレベーターが話題を呼んだが、残念ながら関東大震災で倒壊した。もうひとつは、大阪・新世界の通天閣で、こちらは2代目が健在、今も街のシンボルとして、人々に親しまれている。