オリンピック担当大臣を務める大物政治家・川島正次郎(浅野忠信)と対立した田畑政治(阿部サダヲ)は、インドネシアで開催されたアジア大会参加をめぐるトラブルの責任を取る形で、東京オリンピック組織委員会の事務総長を解任される。このとき、川島と田畑の間で板挟みとなり、結果的に田畑を裏切る形になったのが、互いに“東龍(とうりゅう)さん”、“まーちゃん”と呼び合っていた盟友で東京都知事の東龍太郎。演じる松重豊が、役に込めた思いを語ってくれた。
-東が東京都知事に立候補したのは、田畑に頼み込まれたことがきっかけでしたね。
都知事になったのは、幻に終わった1940年の東京オリンピックに関わっていたまーちゃんが、戦後の復興を目指して再びオリンピックを開催しようとした思いに打たれ、覚悟を決めたという展開になっています。「まーちゃんが言うなら何かしなきゃ」と。それぐらいの関係だったのではないかと思いながら演じています。
-やがて2人は、選手村が朝霞から代々木に変更されたことをきっかけに、徐々にすれ違っていきました。
オリンピックをコンパクトなサイズ感でやりたいというまーちゃんの思いを、東がどこまでくみ取っていたのかは分かりません。都知事という立場になったことで、予算的な話や、政治的な圧力との板挟みで、まーちゃんの理想や信念よりも、「現実を取ろうよ」という気持ちも芽生えたでしょうから。川島やいろいろな人たちが、さまざまな思惑を持ってオリンピックに近づいてくる中で調整をするのは大変なことだったでしょうし。一方、理想論に突き動かされてきたまーちゃんから見れば、そこに温度差を感じるのはしょうがない。だから、政治の世界に片足を突っ込んでしまった東が、まーちゃんとすれ違っていくのは、リアルにあり得た話ではないかと。
-そんな東を、どんな人物だったとお考えでしょうか。
東大のボート部出身で、医者で、学者肌。人の上に立つようなポジションよりも、一人で何かをすることが好きな方だったのではないかな…と。人間としては魅力的で、愛すべき人。ただ、都知事という役職の重圧は大きかったのだと思います。まーちゃんが組織委員会をクビになった後、一人でボートの練習台に乗って漕ぐ場面もありますが、それがすごく東らしい。その辺り、宮藤(官九郎)さんの脚本は、実にうまいなと。
-その宮藤さんの脚本に対する印象は?
一番の印象は、せりふが覚えやすいことです。日本語の持つリズムをものすごく意識している作家さんで、しゃべり言葉、音の情報として乗せられている台本なので、大変なせりふも覚えやすい。宮藤さんのホンは、体が水を吸収するようにせりふが入ってくる。それは本当に驚きました。
-そんな宮藤さんの脚本を基に演じる皆さんのお芝居も熱量が高いですね。
東京オリンピック近くになると、みんな年齢がかなり高いんですよね。登場人物のほとんどが60代、70代。そういう人たちが、つばを飛ばしながら、熱量高く議論し合う思いが、宮藤さんの言葉の力によって僕らにも乗り移ってくる。だから、非常にやりやすいし、痛快です。嘉納治五郎(役所広司)も、最後の方は晩年もいいところだったのに、あれほど熱量を持ってしゃべるジジイ、見たことないぞ…と(笑)。時代を動かしたのは、そういう人たちだったということなんでしょうね。
-ところで、序盤に何度か登場してから、後半で本格的に活躍するまで、だいぶ時間が空きましたね。
長い待ち時間があったので、その間、完全に視聴者になっていました。でも、視聴者になると感情移入してしまい、よくないなぁ…と。特に、嘉納治五郎。僕は柔道部出身で講道館初段を持っていますが、そんな僕でも、今では嘉納治五郎と聞くと、役所広司さんの顔しか思い浮かびません(笑)。嘉納治五郎本人の写真を見ても、「線が細いな。あの人はもっとゴツいはず」と言いたくなるほどで…(笑)。役所さんとも今までいろいろな作品でご一緒し、ご本人もよく知っているのに、今では役所さんに会うと「嘉納さんだ…」と思って緊張し、どう言葉を掛けていいか分からなくなります(笑)。
-「いだてん」は、過去の歴史を描く今までの大河ドラマとは違い、1964年の東京オリンピックを中心とした近現代を扱っています。その点で何か感じたことはありますか。
今までの大河ドラマは、かつらを付け、衣装を着て、場合によってはよろいやかぶとも身に着けるなど、肉体的にある程度の負荷を負って、歴史上の人物になる“扮装ごっこ”のようなところがありました。でも、今回はそういうことがなく、僕の白髪もそのまま。その上、宮藤さんのホンには、ホームドラマや現代の会社もののような要素があり、会話のテンポがよく、笑いもある。だから、すごく肩の力を抜いて取り組むことができます。ホンを読んで、声を上げて笑うようなことは、今までの大河ドラマにはありませんでしたから。
-今までとはだいぶ違うと?
ただ、その分、何が大河ドラマなのかということについては、改めて考えさせられました。朝ドラとも土曜ドラマとも違い、ある歴史の景色を見せていくのが大河ドラマ。そういう思いを踏まえて、今までの大河における明治維新や関ケ原に当たるものは何かと考えたら、僕らの時代が背負っているものは、やっぱり戦争。第2次世界大戦に翻弄(ほんろう)されつつも、最終的には東京オリンピックを実現し、それから50数年たって、再びオリンピックが開催される。そういう自分が今いる場所につながる歴史の立脚点として、大河ドラマにふさわしいお芝居をしたいと思っています。とはいえ、宮藤さんの世界観の新鮮さもあり、演じるのはとても楽しいです。
(取材・文/井上健一)