中小企業庁は、後継者問題を放置すれば2025年までに中小企業の127万社が廃業すると警鐘を鳴らす。毎年25万社が廃業すると予想される中、中小企業のM&Aプラットフォーム「TRANBI(トランビ)」を2011年に立ち上げた高橋聡社長は、「1件の売り手に対して15件の買い手がつく」と圧倒的な売り手市場だという。「事業の停滞ではなく、流動化につながる」と力説する高橋社長に、中小企業のM&Aの可能性について聞いた。
取材・文・撮影/細田 立圭志
毎年地場の3~5社が廃業する現実
――そもそも米国の大学で経営を学び、コンサルティング会社に就職してグローバル規模で活躍していたのに、といったら語弊がありますが、長野市の家業のアスク工業を継ごうと思ったのはなぜでしょう。
小さいころから家族から家業を継ぐことを期待されていました。アスク工業は研磨材料の商社でしたが、今ではそれは売り上げの2%しかありません。多角化しながら半導体関連の部品製造や健康食品の通信販売、プラスチックやゴムの加工、スキーやスノーボードの材料など6事業を手掛けています。
新規事業を常に立ち上げながら発展してきました。黒字経営で財務もよかったことから、父親から「うちの会社の財産は社員と財務だけ。それを使って自分がやりたい事業を立ち上げていいぞ」と言われたのがきっかけです。長野などの場所に縛られる必要もないと。そんなにいい条件なら継ごうと考えて事業承継しました。2005年で、父親が65歳の時です。
――継いでみていかがでしたか。
話はそんなにうまくいきません。周囲の会社の社長も70歳に近く、息子が帰ってこないなど後継者問題を抱えていて、毎年、3~5社が廃業していました。われわれは製造業なので、小さな会社でも廃業して部品が調達できなくなったら、モノがつくれなくなります。そのたびに新しい生産委託先を探さなければいけませんが、部品一つでも、目に見えないモノづくりのノウハウがあり、会社探しもそう簡単ではありません。
――まさに火中の栗を拾うような環境ですね。
会社を継いでから毎年、新規事業を一つ、二つと挑戦してきましたが失敗が多いですよね。そうこうするうちに周りの会社が廃業していくので、既存事業にも影響が出ます。廃業する会社の事業を、自分で一から立ち上げて運営するには時間も費用も足りません。それなら事業を引き継がせてもらって、その上で新たなものをつくっていった方が早いなと考えたのです。廃業する会社の中には、小さいけど世界でその会社にしかない確かな技術があったり、素晴らしい会社も多いのです。ある日突然、廃業するものだから、こちらもそのたびに新しい委託先企業を探さなければならないといった繰り返しです。
嫌われる中小企業のM&A
――新規どころか既存事業の存続にエネルギーがとられますね。
そんなこともありM&A専門の仲介会社に買い手として相談に行きました。すると手数料は最低でも2000万円、案件も2億円や5億円など、中小企業が買収したら経営が傾きそうなものばかりでした。手数料ぐらいの額の案件はありませんか?と聞いたところ、ビジネスにならないと断られました。周りに廃業する企業はたくさんあるのに、なぜ仲介会社がそういう案件を手掛けないのかと考えたら、結局はM&Aが成約しなければ報酬が受け取れない成果報酬の仕組みなので、入金は半年や1年後です。十分な手数料が得られる案件しか興味を示さないのもうなずけます。
――規模が小さい中小企業のM&Aは効率が悪いと嫌われるのですね。
これだと日本の事業者数が400万社あるとしたら、ほんの数%の大手企業の一部しかM&Aができないとういことになります。事業者数で圧倒的に多くを占める中小企業を救える仕組みはないのかと考えたときに、インターネットを使ったサイトを思いつきました。幸いにして通販事業をしていたので、サイトの構築や運営は自社でできました。米国では売り手から広告費用をもらうモデルがあったのですが、日本の中小企業のM&Aは事例が少ない上に、事前にお金を払うのは難しいだろうと考えて、売り手の登録は無料にしました。
――最初は社長一人でやっていたのですか。
2016年の会社分割まで約5年間、ずっと一人でやっていました。サイトの立ち上げは自社でできたので、自社で購入したい案件が登録されたらいいだろうというぐらいの思いで始めました。電話相談やオーナーさんの相談も一人で受けてやっていたら、徐々に依頼件数は増えていきました。そのうち通販事業の担当者が兼務でM&Aの相談窓口もやるようになって拡大していきました。もともと新規事業をよく立ち上げるアスク工業では、兼務は当たり前の文化だったんですね。
中小企業のM&Aは「1:9」の売り手市場
――相談件数が社内だけでは手に負えなくなったのはどのぐらいからですか。
1日の問い合わせが5~10件になったころでしょうか。登録ユーザー数が1000件ぐらいになってから動きが活発になってきました。問い合わせのたびに必ず聞かれる三つの質問が、なんでアスク工業なのか、なんで長野なのか、なんでタダなのかの三つです。そこで16年にトランビとして分社化して東京に事務所を構えて、ベンチャーキャピタルなどから出資していただき資金調達しました。
――登録料が無料のトランビの売り上げは。
M&Aが成立したときの譲渡金額の3%を買い手からいただくだけです。日本の中小企業のM&Aはまだ黎明期で、われわれはマーケットを拡大するための啓蒙活動期だと思っているので、みなさんに使ってもらいたいのです。ユーザー登録しなくても案件は誰でも見られますし、法人だけでなく個人事業も譲渡できます。売り買いの事例が増えれば、M&Aの理解度やリテラシーが上がっていくでしょう。ユーザー数は約4万7000ユーザー(2020年2月時点)あります。16年からの累計登録案件数は4800件です。成約件数は現在、年間300件のペースで増えています。
――件数は大手仲介会社と遜色ないレベルですか?
われわれは規模が小さいですから。件数としてはまだまだ少ないです。オーナーさんに知ってもらう前にオーナーさんが廃業しているのが実情です。
――確かに今の年間5万件の廃業件数が25万社になると、まったく足りてないですね。
トランビでは売り手1件の案件に対して平均15件の買い手がつきます。マーケットとしても売り手・買い手の割合が1:9であるため、圧倒的に売り手市場なのです。
アイデアは「買い手」の数だけある
――なぜ買い手がそんなに多いのでしょう。
アスク工業と同じで、自分で一から立ち上げるより、M&Aの方が素早く事業を立ち上げられるからです。またどこの業界も少子高齢化で市場は縮小しているので、成長するには新しい領域に進出しなければいけません。売りに出された案件をどのように生かせばシナジー効果が生めるかは、実は買い手さんが考えることなのです。
――面白いですね。売り手は売れるかどうか不安だったりいろいろ悩んでしまいそうですが、それを考えるのは買い手の仕事だと。廃業するぐらいなら、まずはM&Aの登録をしてみれば売れる可能性は高まるというわけですね。
皆さん、自分の会社がまさか売れるはずはないだろうと思って廃業するのですが、事業に価値があるかどうかを判断するのは買い手なのです。買い手がその事業に魅力を見出せばM&Aは成立するのです。
――だれも考えつかないようなM&Aもありそうですね。
地方の温泉旅館を東京のクリニック業者が買ったというケースもあります。温泉旅館で人間ドックを受けられるサロンにしたいというのです。M&A仲介会社だとこんな発想は生まれないです。赤字で債務超過の案件を上場企業が買ったケースもあります。買った後にシナジーを生んで立て直せる事業戦略に自信があれば買うわけです。
ミャンマーの養豚場を買った方も、たまたまミャンマーに引っ越すことになったから向こうで事業を始めたかったからです。その人でなければ誰もわからないタイミングですが、インターネットならそうしたマッチングも可能です。世の中には事業をやめる人がいれば、これから始める人もいるのです。ゼロから養豚場をつくるよりも、既にあるものを買った方が簡単ですからね。
――M&Aというと、すぐにハゲタカファンドとか負のイメージが付きまといますが、話を聞くと前向きですね。
本来、事業というものはもっと流動性を高めて柔軟なものであるべきです。始めたらずっと固定して継続しなければいけないというものではありません。事業をたたむのではなく、人に譲って自分は次の新しいことを始めるというのは中小企業にこそあるべきものだと言えます。廃業件数が増えるというと後ろ向きになりますが、1:9で買い手の挑戦者が現れるのですから、それを考えたら悲観的にはなっていません。海外では自分の事業を、他人が買うということは、経営者にとって誇りでもあるのです。
――買い手が資産価値の査定を間違ってしまうなど、M&Aのリスクはないのでしょうか。
デューデリジェンス不足で買う前に把握してなかったものが出てきたというのは、ある一定の数あると思います。M&Aはリスクを負って行うものなので事前にすべてが分かるわけではありません。専門家を入れてリスクヘッジして買うことは必要ですが、買い手の方の知識がついてくれば、かなりの部分は事前にリスクを叩けるようになると思います。
もちろん、中小企業のM&Aのすべてが成功するわけではありません。肌感覚ですが成功率は6~7割ぐらいでしょうか。しかし、新規事業の成功する率が100のうち三つか四つだとしたら、それがM&Aで6、7割に高まるということです。100%うまくいくことなどありませんが、うまくいかなければ売れば、新しい挑戦者が手を挙げてくるでしょう。重要なことは、中小企業の事業をもっと今よりも流動化させることです。