NHKの大河ドラマ「真田丸」で、ついに大坂の陣で徳川家康(内野聖陽)と激突した真田幸村を演じた堺雅人。信繁から幸村へと至る波乱の生涯を演じ切った俳優としての感慨と、1年余りに及んだ撮影の裏側を語る。
-大坂城に入城してからは幸村が実質的なリーダー。それまでと立ち位置が変わりました。
確かに「後半は物語を引っ張らなきゃ」と思っていました。でも、自分の中にいる別な人、つまり父(昌幸=草刈正雄)であり、(石田)三成(山本耕史)であり、(豊臣)秀吉(小日向文世)であり、茶々(竹内結子)であり…。いろんな人の声に突き動かされて動いていた気がします。あんまり自分で頑張る必要はなかったようです。
-秀吉に仕え始めたころは「(信繁は)サラリーマンだ」と言っていましたが、今は?
大坂の陣を演じながら、「近いのは市役所の課長さんかな」と思いました。任された現場で、ダムの決壊でもプラントの爆発でもなんでもいいんですけど、何か不測の非常事態が起きる。上は何も決められず、連絡も途絶えた状態で現場の最高責任者として何か決断をする。そんな状況ですかね。
-内野聖陽さんは、十字槍を使う必然性をスタッフと必死で考えている堺さんを見て、俳優というよりも学者だと言っていました。
十字槍が重くて、なんか腹が立って。こんな重いやりを持っているんだから何か理由がないと嫌だっていうのが根底にあったかもしれません。でも面白いシーンになりました。
-大坂の陣で徳川方の軍勢と対峙(たいじ)しますが、何を考えていましたか。
演技や感情よりも、鉄砲の間合いが正しいかとか、一撃で仕留めるにはどうすればよいかとか、なるべく現実的なことだけに意識を集中するようにしました。
-合戦シーンとしての大坂の陣の見どころは?
徳川方の兵士がいい仕事をしているんですよ。実は“真田愛”にあふれた長野県上田市の有志の方がエキストラで参加しているのですが、プロデューサーや助監督から「一番いい角度で真田丸をご覧になれます」となだめすかされて徳川方のよろいを着けられ、突進のお芝居をしています。暑い中、いいお芝居をされていたので、ぜひ討ち死にしていく徳川の兵士たちをゆっくりご覧になってください。みんな参加できたことがうれしかったらしく、笑いながら死んでいっているんです。撮影中「笑わないでください」っていう指示が飛んでいました(笑)。
-最初の撮影でいったん大坂の陣の衣装を着ましたね。今回改めて大坂の陣のために同じ衣裳を身に着けてみて、何か違いはありましたか。
違いはお客さんに判断していただきます。ただ、前は同じように馬を走らせていても、遠くにいる家康っぽい漠然とした何かへ真っすぐ攻め込んでいた。それが今回はそこに至るまでのルートが細かくジグザグになり、そのルートがきっちり見えました。より具体的に、より情緒がなくなって現実的になる。詩的な何かが消えて実務者にならざるを得ない。それが僕はすごく好きです。
-信繁と幸村、堺さんの中ではどう違うのですか。
本名と芸名。「幸村」は戦いのためのコードネーム。肩書に近い何かだと思っています。
-大坂城に入城してからの幸村は、ある種幻想の幸村と言ってもいい?
自分ではありますが、任務を遂行するためのシンボル、装置であったということは思っていたのではないでしょうか。
-上杉景勝(遠藤憲一)をして「日本一のつわもの」と言わしめたのは、幸村のどんな生きざまだと思いますか。
幸村は現場に徹することができた人。現場で命懸けで戦っている人たちを見て、景勝にはうらやましい気持ちがあったのではないでしょうか。
-幸村は女性にモテるんでしょうか。茶々も本気のようですし。
本気です、本気です。ただ、モテる人生が幸せかどうかは「真田丸」を見てよくお考えになった方がいい(笑)。九度山でも(正室と側室の対抗意識で)大変な目に遭いました。ハーレムというのはあんなに修羅場なのだというのをお分かりになった方がいいです(笑)。
-最終回の台本を読んだ時の率直な感想は?
物語の顛末(てんまつ)はほとんどの方がご存じだろうし、来るところに来たかという感じ。予想通りだったけど、とても一人ではたどり着けないところだったと。
-撮影を終えた今の心境は?
長い旅行から帰ってきた気分というのが一番近いですね。寂しいけど、無事だった喜びと家族の顔を見た安堵があります。
-三谷幸喜さんからの指示で一番印象的だったのは?
最初のころ、(脚本を)テキストとしてあまりにも大事にし過ぎたらしく、「あと10パーセントぐらい現場の空気に身を任せてみたら」というアドバイスをいただきました。10パーセントという数字が、「好きにやって」と言われるよりも難しかった。きっと僕は頭でっかちになっていたんだと思います。そこが三谷さんの厳しさ。怖い人ですね。
-長い年月を演じる苦労は?
最後は実年齢に近くて楽でしたが、最初の若作りは大変でした。よく頑張りました(笑)。それと撮影中はご飯をよく食べました。初ロケで草刈正雄さんが「ちゃんとご飯を食べた方がいいね」っておっしゃっていたのが耳に残っていましたから。次の主役の柴咲コウさんにもそう伝えようと思っています(笑)。
-“座長”としての1年、いかがでしたか。
演技に関してはこんな素晴らしいメンバーはそうそういないので、楽しかった。スタジオに行くのが毎日楽しみでしょうがなかった。座長というより、相手の技や球を受け続ける役柄だったので、飽きなかったです。
-年間を通じて演技の転換点は?
秀吉と出会う前後でリズムが変わります。最初は1話完結で丁寧に短編が積み重なって、14話からものすごく話がうねってゆっくりした動きになる。それが最後まで続きました。だから小日向秀吉との出会いは大きかったです。
-九度山での14年間は信繁から幸村になるヒントになりましたか。
(放送にして)2回分ぐらいでしたが、九度山で初めて家族と向き合います。大助(浦上晟周)という息子とのふれあい、父と子の相克が深まるところ。それがないと大坂城に入城できなかったのだと三谷さんは踏んだんでしょう。
-信濃、大坂城、そして大坂の陣。それぞれで象徴的なシーンは?
信濃は物見台の上で父上と「信濃は日本の真ん中ですから」というところ。大坂城では、やはり大坂城の大きな姿が象徴的で、バブルに浮かれていた街だったんだろうなと。交響曲で言えば、大坂篇は第2楽章ですね。時々そこに信濃のテーマが少し入るんだけど、基本的には同じテーマを繰り返している。石田三成を主人公にした短い第3楽章をはさんで、壮大な第4楽章で幕を閉じます。
-信濃はどんな存在ですか。
信濃のような境目にいる人たちって、価値観が違う人たちとも共存しなくてはならないと思うんです。隣の村の文句をブツブツ言いながらも、相手を決して否定せず、共に生きる道を探す。それは信繁にとっても基本テーマだったはずです。でも家康たち田んぼの人たちは一つの価値観を押し付けて強力な組織を作ろうとする。真田が家康と相容れなかった背景にはそれがあると感じます。
-今は休みたい? それとも何かやりたい?
いや、もう今すぐやりたい、九度山篇スピンオフでもなんでも(笑)。それと上杉家での人質生活篇でも。スピンオフ全5話ぐらいでどうでしょう。(景勝役の)遠藤憲一さんの都合がつけばすぐにでも。直江兼続(村上新悟)ももっと見てみたいし。ああ、いっぱいやりたい、明日にでもやりたいぐらいです(笑)。
-草刈さんは30年前に幸村を演じていました。今後、真田家の他の役で演じたい役はありますか。
ないない。草刈さんの昌幸は越えられないでしょう。30年後、僕は70歳ですよって言いながら、やってみたいですね(笑)。昌幸以外では、信之が合っている気がします。どちらかというと兄が得意な僕が弟をやり、弟が得意な大泉さんが兄をやり、そこが面白いという話は2人でしていました。でも役者だから、やれと言われれば、秀吉も家康もやってみたいです。