ファーウェイの躍進について語るファーウェイ・ジャパンの呉波副社長

2016年のスマートフォン(スマホ)市場で躍進したメーカーの一社に、ファーウェイ・ジャパンが挙げられる。グローバル企業のイメージが強い同社だが、実は「ガラパゴス」と揶揄される日本のスマホ市場を重要視している。呉波(ゴ・ハ)副社長へのBCNの単独インタビューから、躍進の秘密が明らかになった。

日本を最先端の市場としてマーク

2014年度に世界のスマホ出荷台数シェアで韓国サムスン、アップルに次ぐ3位に踊り出たファーウェイは、グローバルでの存在感を一気に高めた。日本法人のファーウェイ・ジャパンは2005年に従業員20人で設立。その立ち上げ時から、日本市場を重要視し、イー・モバイル向けのUSB型データ通信カード「D01HW」を発売した07年頃には、すでに日本を最先端の市場としてマークしていたのだ。

呉副社長は「デバイスカンパニーのときの十数年前から、日本市場を技術で最も先進的な市場という位置づけで見ていた」と振り返る。

実際、ファーウェイ・ジャパンは08年に従業員100人、10年に従業員200人と企業規模を拡大させ、さらに10年に横浜市に端末R&Dセンターを設立するなど、開発体制を強化。グローバルで売上高の10%以上をR&Dに投資するファーウェイらしさが、日本でも遺憾なく発揮された。

14年のSIMフリー「Ascend Mate7」の投入が転機に

09年に発売したイー・モバイル向けモバイルWi-Fiルータ「Pocket WiFi D25HW」はヒットしたが、今ほどの存在感はなかった。呉氏がファーウェイ・ジャパンの副社長に就任したのは11年。ファーウェイのブランドが国内で徐々に浸透しはじめるのは、翌12年に自社ブランドのスマホを日本市場に投入し、14年にSIMロックフリーの「Ascend Mate7」を発売した頃からだろう。

ちなみに、16年の従業員数は800人。会社設立からわずか11年で40倍の社員数に急拡大させたスピード感も、同社の勢いを示す数字だ。

呉副社長へのインタビューでは「ヒーロープロダクツ」というキーワードがたびたび登場した。ラインアップ数の多さによる物量作戦ではなく、むしろラインアップを絞り込んでヒーロープロダクツを生むことこそが、日本市場で勝ち残るポイントになると見る。

多くのメーカーは、多様化する顧客ニーズを満たそうと、ラインアップを広げがちだ。対してファーウェイは、1機種や2機種に絞り込んで、そこに最先端の技術を注ぐ。SIMフリースマホの「HUAWEI P9/P9 lite」やタブレット端末「HUAWEI MediaPad M3」などは、いわゆる「格安」ではなく、ハイエンドでの真っ向勝負を挑んでいる。

フラッグシップモデルに事業のフォーカスをあてる戦略は、15年12月にファーウェイの本社(中国・深セン市)を取材したときにも語られていた。「プレミアム・スマートフォン・ストラテジー」だ。

11年にはグローバルで75モデルのスマホを投入していたが、13年は60モデル、14年は35モデル、15年は20モデルと、5年間で55モデルも削減した。モデル数を減らすことで、1台当たりにかける品質を高め、磨きをかける戦略である。

「フィーチャーフォンの時代にモトローラやノキアはグローバルで成功したが日本でのシェアは低かった。スマホ時代でもサムスンは世界で成功したが、日本でのシェアははやり低い」と分析する呉副社長。妥協のない技術を注ぎ込んだヒーロープロダクツをいくつ積み重ねていけるか。ファーウェイの躍進の秘密は、そんな事業戦略の違いにある。(BCN・細田立圭志)