映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲 ©臼井儀人/双葉社・シンエイ・テレビ朝日・ADK 2001

『オトナ帝国の逆襲』で、「これでいいんだ」って思えた

――『映画 クレヨンしんちゃん 爆発!温泉わくわく大決戦』で、丹波哲郎さんが出演依頼を受けた際、「その映画に俺が必要だったら出る」とおっしゃられたことに、監督は大変感銘されたとお聞きしました。ずっと「映画」を作るという意識は、共通してあったのでしょうか?

:実はあんまりなかったんですよ。『クレヨンしんちゃん』の映画というのは、僕の前の本郷みつるさんが監督の時代からずっと手伝っていますけど、毎回何かのパロディみたいな作り方をしていたんですね。自分もそれでいいと思っていました。

それでも、丹波さんにダメ元で出てもらえないか聞いてみてもらったときに、「その映画に俺が必要なら」という言葉を聞くと、「ああ、自分は『クレヨンしんちゃん』と言えど“映画”を作っているんだな」という自覚みたいなものは感じましたよね。それから、初めて自分がシリーズものとはいえ、今まで観たことがない映画を作れたと初めて思えたのが、『オトナ帝国の逆襲』だった。

――『オトナ帝国の逆襲』も、僕は中学生当時観てものすごく感動したんですけど、「面白いけれど、これは大人たちの映画なのかな」と感じました。そういう意識は、やはりされていましたか?

:うん、ありましたよ。『オトナ帝国の逆襲』をあの形で作るということに関しては、僕は僕ですごく悩んだんですよね。『クレヨンしんちゃん』じゃ無くなってしまうという自覚はあったんですが、それでもいい映画を作りたいという気持ちが勝って、あの形にした。お客さんや出資者たちからも、みんなから総攻撃されるだろうと本当に思っていたんです。

出来上がったとき初号や試写会の段階で、実際に出資者たちは不満そうでした。「これは『クレヨンしんちゃん』じゃない」と思ったんでしょう。でもお客さんはそうじゃなかったんです。そこが僕にとって大きな転機だったんですね。「これでいいんだ」って思えた。

――『オトナ帝国の逆襲』でお客さんの反応があったからこそ、『戦国大合戦』でああいったシーンを作ろうと?

:そうです。あと今にして思うと、シンエイ動画という会社の社員監督だったということも大きかったと思うんです。当時自分がフリーの監督だったら、そんなチャレンジはしなかったのではないかと。フリーとして、2001年公開の『クレヨンしんちゃん』の監督をしてくれと言われたら、たぶん『クレヨンしんちゃん』の映画はこんなスタイルだろうとか、こういうものが求められているのだろうと意識して作ったと思うんですね。

僕はそれまで4本監督していて、その前の4本も絵コンテでかなり参加していた。そういう1本1本の経験があって、自分なりの『クレヨンしんちゃん』の映画っていうものを分かっていたつもりだったんですけれど、『オトナ帝国の逆襲』のときには、そこからはみ出したくなってしまった。これははみ出した方が絶対いい映画になると思えた。

で、実際にそうしちゃったんですけど、僕がフリーだったら、それは望まれていないことだからしないと思ったでしょうね。社員監督であるということが、最大限利用できたと思っているんですよ。それを一番利用したのが、『河童のクゥと夏休み』なんですけど。

当時は周りがみんな敵だと思いました。お前ら全員敵!って(笑)

――2007年公開の『河童のクゥと夏休み』という作品では、普遍的な少年の成長を描かれています。元々映画になる原作を探されて読まれていたとのことですが、作られるまでの経緯を改めて伺えますか?

:いやー、それは長い話ですよ(笑)。当時よく言っていたのが、20年間ずっと作りたかった作品がやっと作れたということでした。本当に自分にとっては夢の企画だったんですよ。だからやりたいことはたくさんあったし、とにかく自分に対しても、お客さんに対しても、一切手加減をしない作品を作りたかったんですよね。

河童のクゥと夏休み ©2007小暮正夫/「河童のクゥと夏休み」製作委員会

――絵コンテ本も買わせて頂いたんですが、かなりの分厚さで、1シーン1シーンに対して、ここではこういうことをやりたいという演出意図が込められていました。いま改めて、作品に対する手ごたえみたいなものは、どのように感じていますか?

:当時は思ったようにできなかったなという、(作品の)長さに対する不満がありました。それがどんなに非常識なことかもわかっていて言うのですが、絵コンテどおりに作っていたら3時間越えのアニメになったはずで、その長さに関するバトルがあり、最終的には僕の方が折れたので、非常に悔しい思いをしたんですよ。そりゃあ無理だとは思っていましたけど(苦笑)。

どのカットもどのシーンも、自分は必要なものだと思って絵コンテにしたので、それを切り刻んでいくのは、ものすごく辛い作業でしたね。

――改めて観られても、作っていたときの悔しさなどを感じますか?

:今はそれほどでもないんですけどね。でも当時はやっぱりものすごく……周りがみんな敵だと思いましたね。お前ら全員敵!って(笑)。