『発達障害に生まれて』(松永正訓著/中央公論新社)のノンフィクションの題材となった立石美津子です。
筆者の息子には障害があります。落ち込んでいたとき、ママ友が「子どもはお母さんを選んで生まれてくるんだよ。きちんと育てられる人のところにやってくる天使なんだよ」と励ましてくれました。
ですが、私は「選ばれたくはなかった」と思っていたので、その言葉を素直に受け取れませんでした。
このように、「良かれと思って」かけた言葉が相手を傷つけていることもあります。
ママ友に言われた心ない言葉
息子が2歳のとき、こんなことがありました。
当時、私は幼児教室を経営していたのですが、私が教育関係の仕事をしていることを知っているママ友から次のような言葉をかけられました。
「やっぱり、子どもは親を選んで生まれてくるのね。△△君は立石さんを選んで生まれてきたのよ」。
ママ友仲間に栄養士の資格を持つ人がいました。その人の子はとても食欲旺盛でした。すると私を励ましたそのママ友は「◯◯君は料理上手のママを選んで生まれてきたのね」とも言っていました。
決して言った側に悪意はないのです。でも、“栄養士のママだから、食欲旺盛の何でも食べる子が生まれた”ということと、“教育関係の仕事をしているプロだから、障害児でも育てられる”と言われるのは、親にかかるプレッシャーのレベルが違うと思いました。
私は心の中で「綺麗ごとを言わないでよ。神様に選ばれたくなんかなかったわよ」と言い返していました。
誰も好んで障害のある子を産みたいとは思いません。
そして、“障害のある子どもの親になる”という、人生設計の中になかったことが自分の身に起こったとき「これからどうやって育てていけばいいんだ…。なんで、みんなは普通の子を産んでいるのに私にはこんな子が生まれてきたんだ」と周りを妬む気持ちさえ起こる人もいます。
よく考えてみると、実際にこの世に生まれてくるかこないかは子どもの選択ではありません。そうならば、虐待されてしまう家庭に生まれる子も、親を選んでやってきたということになってしまいます。
妊娠したのは親の選択です。だから障害児を生んだ親は「こんな子に産んでごめんね」と実は自分を責めたりしているのです。