無理心中事件を見て思うこと
時折、“障害のある我が子の行く末を案じて無理心中”という事件がニュースになることがあります。
そんなとき、マスコミはこぞって「親のエゴだ!」とか「子どもには罪はないのにひどい親だ」と非難しますが、少しだけ気持ちがわかる気もします。
皆が皆、そうとは限りませんが、障害児を持つ親がよく口にしています。
「神様、一つだけ願いを叶えてくださるならばこの子の寿命よりも一日長く私を生かしてください」と。親亡き後の子どものことを想像すると「この子を残してあの世に逝けない」と思うのです。
それが嵩じて無理心中を図ることはやってはならないですが、少なくともそんな思いをしている人に「あなたを選んで生まれてきた」と言わないでほしいのです。
ただ共感の言葉をかけてほしい
では、どのような言葉をかけてもらえると一番救われるのでしょうか。
それは、ただただ共感の言葉をかけてもらえるだけでいいのです。
・大変な子育てだね。本当によく頑張っているよね
・つらいよね
など。また、身勝手かもしれませんが、「頑張ってね」「応援しているから」という言葉は同じ障害児を持つ先輩ママから言われると励まされるのですが、“健常児が羨ましい”と思っているところに、健常児のママ友から「応援しているから頑張ってね」と言われると、私の醜い心は「上から目線だな。私の精神状態なんかわかっていないくせに」と思ってしまうのです。
なぜ言った側と言われた側の気持ちのギャップが生まれるのか
相手をなんとか勇気づけようと、そして元気を出してもらおうと、人は相手に優しい言葉をかけることがあります。でも、時にはそれがかえって相手を傷つけることもあります。
「○○ちゃんはあなたを産んで生まれてきたのよ~」と微笑みながら励ましの言葉をかけると「相手は少し元気になるだろう」と思っているのは言った側だけ、友達を元気づけていると錯覚して少し自己満足しているだけなのかもしれません。
言われた側は「◯◯ちゃんはあなたを産んで生まれてきたのよ~!だから産んでしまったからには責任を持って育てなさいよ」と責められているように捻くれて受け止めてしまうこともあるように思います。
鬱病を患っている人が「頑張って」「元気を出して」と言われると、「ああ、誰も自分の気持ちを理解してくれない。これ以上どう頑張れと言うんだ。もう限界だ」と自殺の引き金になると言われています。これと同じような気がします。
だから、安易な励ましの言葉を出す前に少し考えてもらいたいと思うのです。
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皆さんはどう思いますか?