2021年9月、東京ディズニーシーは開園から20年を迎えました。
しかし、世界初の「海」をテーマにしたディズニーパークの誕生までには、紆余曲折の歴史が…。
もちろん、それは東京ディズニーリゾートを抱える千葉県浦安市と無縁ではありません。
2002年1月、史上初めて東京ディズニーランドでの成人式を実現させ、5期18年にわたって浦安市長を務めた松崎秀樹さんに、浦安市とオリエンタルランド社との関係についてインタビューしました。
松崎秀樹(まつざきひでき)さん プロフィール
1950年、東京都世田谷区で生まれる。会社員を経験した後、国会議員の公設秘書に。
結婚の翌年に浦安へ転居。
1991年、千葉県議会議員選挙に浦安市選挙区から出馬し初当選。
1998年、前市長の辞職に伴う浦安市長選挙で当選。
以後、5期18年にわたって浦安市長を務めた。
現在は、浦安市富士見にある「さくら保育園」の理事長を務めている。
東京ディズニーシーの横に「墓地公園」!?
──東京ディズニーシーが2021年9月に開園から20年を迎えました。印象に残っているエピソードを教えてください。
東京ディズニーシーの立体駐車場の横には現在、浦安市の運動公園があります。
実はもともとこの場所には、墓地公園が建設される計画だったのです。
しかし、お盆や彼岸の時期になると、墓地には線香が供えられますよね。
もしテーマパークのすぐ横に墓地公園があったら、中まで線香の匂いがいくかもしれないし、絶えず楽しそうな音楽が流れてくる場所は、静かに個人をしのぶ場所にはふさわしくない。
そのような理由で、オリエンタルランド社が、墓地公園を別の場所に移設できないかと考えたんです。
しかし、このとき浦安市には何の相談もなしに動いてしまったために、当時の熊川好生市長が激怒してしまいまして。
当時私は、千葉県議会議員を務めていたのですが、この事件をきっかけに浦安市、とくに熊川市長とオリエンタルランド社の関係が急速に悪化しました。
当時、オリエンタルランド社は、東京ディズニーランドの横に、ディズニー社が提案してきた映画スタジオをテーマにした施設に代わる「海をテーマにした施設」を建設する計画でした。
それが現在の「東京ディズニーシー」です。
建設にあたって、アメリカのディズニー社は、地元の自治体が受け入れを表明する「副申書」を出してもらうようにオリエンタルランド社に言ったのですが、熊川さんは首を縦に振ろうとしない。
これにはオリエンタルランド社の加賀見さん(現在の代表取締役会長兼CEO)も、頭を抱えてしまいました。
もし期限内に浦安市が新しいテーマパークを歓迎しないとのメッセージが、ディズニー社に伝わると、契約が履行できずに多額の賠償金が発生してしまう…という事態も考えられました。
そこで、熊川さんにその旨を打診しに、年始の挨拶を兼ねて市役所に出向いたんです。
その後、無事に浦安市からオリエンタルランド社に、副申書が出たようです。
熊川さんが市長を務めていたときは、最後まで浦安市とオリエンタルランド社の関係は悪いままでしたね。
1998年に私が市長に就任してからは、もとの正常な関係に戻りました。
2001年に東京ディズニーシーがオープンする直前、浦安市民を対象にしたプレビュー(テスト運営)がありました。
従業員の事前研修のためということで、2日間にわたって市内のすべての住民が招待されました。
このとき市内は「ゴーストタウン」状態でしたね。
人影がほとんどなくて、驚いたのを覚えています。
千葉県警の機動隊がたくさん出動してくれて、市内のパトロールをするぐらいでした。