「終わらせないために東京を離れたい」と皆を説得した
――そこで、東京を離れる判断に至ったと。
浜崎:はい、「じゃあ、環境を変えちゃえ」と。人生は一度きりですしね。
私はアーバンギャルドに加入してから1年くらいまでは、レコーディングやライブのたびに兵庫県から東京に通ってたんです。今一度、原点に立ち返るじゃないですけど、そのスタイルを思い出して。
当時は、自分がこれまで地元で培ってきたものを捨ててまで、まだ海の物とも山の物ともつかないバンドに賭けていいのか?と悩んで上京できずにいました。自分にも、アーバンギャルドにも自信がなかったんですね。
でも今は反対に、東京で培ってきたものがあるからこそ、地元に戻ることもできるではないかと。自信がついたからこその決断です。
――メンバーにはどのように伝えたのでしょうか?
浜崎:2020年の段階で「私、兵庫に帰ろうかな」みたいなことは言ってたんです。とはいえ、ふたりとも「本当に引っ越すことはないだろう」とぼんやり構えていたようで。
――「本当に引っ越します」と言ったら……。
浜崎:青天の霹靂といった感じで、「そんな真剣に考えているなら、相談して欲しかった」と。私だって青天の霹靂なんだよ!突然なんだよ!って(笑)。
あとふたりやスタッフが気にかけていたのは「バンドの見え方」ですね。私が兵庫に行く、メインのボーカルが拠点を移すということは、「アーバンギャルドの終わりの始まり」のように見えてしまうのではないか、ファンを不安にさせてしまうのでは? と心配していました。
だけど、「終わらせないために東京を離れたい」と皆を説得しました。19年くらいから、人生で3回目くらいの鬱病をやっていて、もともと鬱っぽい性格なんですが、診断されると違う話になってしまうじゃないですか。一度きちんと療養したいという理由もありました。
――では、東京を離れてメンタル面には変化はありましたか。
浜崎:自分は結構アホだったんだなって思い出しました。ふふふ。
――それはどういうことでしょう(笑)。
浜崎:本来の自分って、小学生みたいな性格だったんですよ。東京に行って、それなりに社会人として頑張らねばと一生懸命やっていたんですけど、今は実家も近いこともあって「できないことはできないよ〜」と家族に泣きつくことができるようになって。
――わかります、しんどいときほど甘えられないんですよね。今は素直に弱音も出せると。
浜崎:本来の自分を取り戻していますね。
鬱って、日常的に当たり前にやれていたことができなくなるんですね。お布団から出られなくなって、顔すら洗えなくなっちゃう。それが最近徐々にできるようになってきて、徐々に明るくなってきました。環境の変化ってすごいなって感じる日々です。
――それは本当によかったです。アーバンギャルドを続けるために、生き延びるために環境を変えることを選んだ結果、いい方向に向かっているということですね。
浜崎:私、東京に来てから攻撃的な人間になっていたんですね。私は元はそういう人間ではなくて、ゆるっとした性格なんですよ。東京ってすべてのスピードがめちゃめちゃ早いじゃないですか。「はい次! はい次!」みたいな生活。だから、それに負けないような生き方をしていたら、ジャックナイフみたいになってしまった。
東京は競争社会だし、音楽業界だって基本的に男の人が多いじゃないですか。
――そういう風潮も徐々に変わってきてはいるものの、まだまだ男性中心の社会ですよね。どうしても、「競争に勝つ」=「男性のように働く」、正確には「健康な成人男性のように働く」でしょうか、世の中全体がそういう働き方を推奨してしまっている。
浜崎:それに負けないように「自分も男にならなきゃ、男並みに頑張らなきゃ」と、無理をしていたところもあって……。
「浜崎さんは性格がきつい」なんて言われることもあるけど、地元でのあだ名は「トロ子」だったくらいなんですよ(笑)。それが、東京から離れてゆっくりとした時間を過ごすことができて、「そうだ、私、トロ子だったんだ」と思い出して、今は毎日トロ子です(笑)。
東京にいた頃はバンドのことばかり考えていたんです。だってバンドのために上京したわけですから。24時間を円グラフにすると、猫のお世話以外はすべてアーバンギャルドのことみたいな感じでした。すべてがバンドのため、プライベートよりバンドを優先して恋人と破局したこともありました(苦笑)。
それが今は円グラフが反転しているんですね。……あっ、じゃあ恋愛するなら今かもしれない! これは書いていいですよ(笑)。
――では「浜崎容子さん、恋をするなら今」と、書いておきますね(笑)。
浜崎:ふふふ、そういう余裕も出てきたってことですね。東京だとそれが全然なかったので。