“秘密のヴェール” の内側には何も無い
では、「スター・ウォーズらしさ」とはなにか。
これは少々難しい問いで、一言ですべてを説明するのは不可能ですが、ここで私が話題にしたいのは、「スター・ウォーズ」シリーズが持つ、神秘性についてです。
少し話が逸れますが、私たちは、人間として成熟する過程で、いわゆる厨二病に陥り、
「秘密のヴェールの内側に、隠された真理がある」
と思い込みがちです。
たとえば、「自分探しをしているんです」と言って、定職につかずにブラブラしてみたり、一人旅をしてみたり。
あるいは、生きていく中で、選択に迷ったときに、「唯一の正解」を探そうとしたり、あのときの選択は間違っていたんじゃないかと延々思い悩んだりすることも、含まれるでしょう。
けれども、どんなに探したところで、「真理」や「唯一の正解」は、誰も見つけることができません。
そんなもの、どこにもないからです。
「本気を出して勉強していないから成績が良くないだけで、本当は頭が良いんです」と言って許されるのは、我が子を信じる親だけ。
社会では、ただの勉強ができない人、成績の悪い人と評価されます。
「本来どうであるか」ではなくて、「実際に何をしたか」が私たちを定義します。
こうした考え方は、近現代の哲学史の中で、実存主義と呼ばれます。
ヴェールそのものに価値がある
実存主義的に見ると、「スター・ウォーズ」シリーズは、言ってみれば、“秘密のヴェールそのもの” と言っていい存在です。
ファンによってあまりに神格化され過ぎ、生みの親ジョージ・ルーカスは、「スター・ウォーズ」を手放した理由を「映画を撮っても、受けるのは批判ばかり」だからと語ったほどです。
レタスを神聖なものと思い込んでいる地球外生命体を、想像してみてください。
一枚ずつ剥いていけば、中には何もない、と知っている私たちからすると滑稽なわけですが、祭壇に大切に祀って、ああでもない、こうでもないと、その偉大さについて議論を交わすんです。
レタスがゴミだと言っているわけではありません。
レタスはレタスであり、それ以上でもそれ以下でもないのです。
『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』は、スター・ウォーズとは、フォースとは、
「それはまあ、レタスだよ。みずみずしくて、美味しいよね。ヘルシーでビタミンも含まれてるし」
と告げています。
ところが、古くからの「スター・ウォーズ」シリーズのファンたちは、祭壇に祀ってある神聖なものが、「レタスだよ」と真正面から言われて、しかも、レタスを一枚ずつ剥いでいく様子を見せられて、かんかんに怒っているわけです。
ファンとしての楽しみ方の一つを奪われてしまった彼らには、ご愁傷様……と言う他はないでしょう。