荒井退造を演じた村上淳

 太平洋戦争末期の1945年、日本国内で唯一、激しい地上戦が繰り広げられた沖縄で、県民の命を必死に守ろうとした2人の人物がいた。その人物とは、県知事の島田叡と警察部長の荒井退造。彼らの苦悩や葛藤を描いた映画『島守の塔』が7月22日から公開となる。島田知事役の萩原聖人と共に、荒井役でダブル主演を務めた村上淳が、撮影の舞台裏や作品への思いを語ってくれた。

-島田知事については、これまでさまざまな映画やドラマに登場し、近年もドキュメンタリー映画が製作されているので、ある程度知っていましたが、荒井退造さんについてはこの映画で初めて知る驚きと発見がありました。演じるに当たって、どんな準備をしましたか。

 沖縄では有名な方だそうですが、僕も荒井さんのことは今まで知らなかったので、事前にご親族の方にお会いして人物像を伺いました。とはいえ、基本的にはいつもと同じように台本に書いてある人間像を膨らませるというアプローチをしています。こういう実在の人物の場合、図書館に行けばいくらでも資料を集めることはできます。でも僕は、脚本家や監督が足し引きして作り上げたものに、俳優部が自分で見つけたヒントを持ち込む必要はないと考えているので。

-脚本を軸に、役としての荒井退造を作っていったということでしょうか。

 そうですね。ただ、一つだけ明らかなことがあり、議事録が残っていて、荒井退造のせりふのほとんどがその議事録通りなんです。だから、それはなるべく外さないようにして、僕らが今この映画を撮るに当たって、荒井さんが実際に放たれた言葉を現代風に置き換えるようなこともしませんでした。

-そうでしたか。

 その一方で気を付けたのは、それに引っ張られ過ぎて、“再現VTR”寄りになってしまわないか、ということです。現場の熱量で撮っている人間たちには、その場では成立するのかもしれない。でも、「観客はどうだろう?」と。ほんの数ミリですけど、「より幅広い層の観客に見てもらうには、どういうあり方をすればいいだろう?」と常に考えていました。そこだけは、今までとちょっと違うことをしています。

-その理由は?

 語弊を恐れずにいうと、この作品は一見、「難しい映画」と思われそうじゃないですか。でも、ダブル主演の1人が村上淳である以上、「それだけではないよ」という入り口の広さを残しておきたかったんです。

-その点、本作の前半、栃木の実家に帰る場面では、家族とのやり取りを通して荒井の素顔を垣間見ることができます。荒井の人物像に奥行きが感じられる印象的なシーンですが、撮影はいかがでしたか。

 この作品には主要な人物が何人か登場しますが、あのシーンが加わったことで、僕のパートにすごく血が通ったと思います。例えば、きんぴらを食べて「帰ってきた気がする」と言うだけで、ぬくもりを感じることができますよね。日本人なら誰でもきんぴらを食べたことがあるはずですから。そういう意味で、味覚や聴覚まで刺激するようなシーンになったのではないかと思います。

-実在の人物を演じる責任については、どう感じていますか。

 責任はものすごく感じています。ご覧になった親族の方から「全然違うじゃないか」といわれる怖さもありますし。だからといって、映画的に都合のいい姿を見せようとは思っていませんでした。そのあんばいは、本来の荒井退造像からかけ離れ過ぎず、ある種のフィクションとして成立させた五十嵐(匠)監督を信頼してお任せしました。

-この映画を通じて荒井退造という人物が世に知られることについては、どう思いますか。

 もちろん、主人公の1人ですから、注目が集まることは否定しません。ただ、この作品は僕だけでなく、始まってから終わるまで、出てくる方が皆さんいい顔をしているんです。単なる映画撮影のためだけに集まったキャスト、スタッフではない何かを僕は感じていて。それが何なのか、まだ分かりませんが…。その辺は、五十嵐監督の手腕と誠実さのたまものだったのかなと。

-演じる上では実在の人物ならではの難しさもあったのではないでしょうか。

 以前の僕だったら、ご親族がいらっしゃる実在の人物で、ある種、ヒーロー化されている方を演じるに当たっては、自分一人で背負いこむ部分が多かったはずです。でも今回は、初めてご一緒する吉岡里帆さん(沖縄県職員・比嘉凛役)を含め、周りの皆さんを信じて、勝手ながらそういうものを分散させていただきました。もっとはっきりいえば、「周りを頼った」という感じです。もちろん、過去に何度かご一緒したことがある萩原さんには安心して胸を借りられましたし、榎木孝明さん(第三十二軍司令官・牛島満中将役)や水橋研二くん(高級参謀・八原博通大佐役)の熱量もすごかった。そんなふうに、信じて任せられる監督やスタッフ、キャストが集まったのがこの現場だったと思います。

-なるほど。

 そういう意味では、エキストラの方々を含め、俳優である以前に“人間力のすごみ”みたいなものを今まで以上に感じる現場でした。だから、僕に関して言えば、周りを信じ切れていないカットはこの映画には存在しません。

-今年は沖縄本土復帰50周年の節目であると同時に、現実にウクライナで戦争も進行中で、戦争について考える機会が増えています。それらを踏まえた上で、この映画に対する思いをお聞かせください。

 期待を裏切るようで申し訳ありませんが、大風呂敷を広げるようなことはいえません。僕も戦争を知らない世代ですから。ただ、戦争が愚行であることは、恐らく全人類共通の認識のはずなのに、それでも戦争は起きているわけです。だから、それを「よくない」「止めよう」と声を上げる人たちを勇気づける、あるいは戦争を考え直してもらう一つのきっかけになってくれたら、と思います。

-まずは見てもらいたい、ということでしょうか。

 僕が多くを語る必要はないと思うんです。テーマは観客のもので、そこで何を感じていただくか、誰にフォーカスを当てるかは、皆さんの自由ですから。「こういうものだ」と訴える“教材ビデオ”ではありませんし。しかし、見応えのある作品になったことだけは間違いありません。だから、「難しそうな映画」ではなく、「いい映画見たよね」という気持ちになっていただける作品だということは、声を大にしていいたいです。

(取材・文・写真/井上健一)