深町秋生の小説『ヘルドッグス 地獄の犬たち』を基に、原田眞人監督が映画化した『ヘルドッグス』が、9月16日から公開される。本作は、復讐(ふくしゅう)を糧に生きる元警官の兼高(岡田准一)が、やくざ組織への潜入捜査をする中で、制御不能の室岡(坂口健太郎)とタッグを組んで、組織内でのし上がり、やがて組織のトップ十朱(MIYAVI)のボディーガードとなるが…というストーリー。原田監督に、映画に込めた思いや、3度目の顔合わせとなった岡田について聞いた。
-監督の映画には、原作の大胆な改変がよくみられますが、今回も原作からはかなり離れているのでしょうか。
ベースは同じです。主役の兼高と十朱、そして室岡という3人の絡みは、基本的には原作の流れを踏襲しています。それと同時に、原作との一番大きな違いは、原作はやくざ組織に関する情報量が多いので、それをどれだけ簡略化して、映画として必要な情報として観客に与えられるかを考えながら脚色したところです。ただ、原作者の深町さんが、ちょうど原作の設定を大胆に変えたリングの場面を撮っているときに、撮影現場にいらしたんですが、撮影自体を楽しんでくれて、見終わった後も、原作と違う部分を喜んでくれました。そういう意味では、原作のエッセンスをなるべく残すことには苦労しましたが、そのかいはあったと思いました。
-兼高役の岡田准一さんは、『関ヶ原』(17)『燃えよ剣』(21)に続く起用です。今回は、前2作の実在の悲劇のヒーロー的な人物とは全く違うダークヒーロー役ですが、今回も彼を起用した理由は?
『関ヶ原』『燃えよ剣』と、時代劇での彼の身体能力の高さは分かっていたし、互いに、今度は現代劇でやりたいという思いがありました。だから、今回原作を頂いたときに、僕の中では、岡田さんが主役というイメージしかありませんでした。それで、岡田さんが兼高なら、その周りはどういうキャストにしようかと考えながら読んでいました。それから、彼が兼高をやることによって、彼の武術も使えるので、アクションコーディネートも任せられると。ですから、原作を読み始めたときから、岡田准一ありきという感じでした。
-室岡役の坂口健太郎さんも、十朱役のMIYAVIさんも、これまでのイメージとは違う役柄というのが、見ていて面白かったのですが、今回、2人を起用した理由を教えてください。
室岡の場合は、ある意味、兼高との男同士のラブストーリーみたいな要素があるので、兼高とは雰囲気が違って、意外性のある、これまで岡田さんとは共演したことがない若い役者で、身体能力も高くて…、そういう人は誰かと。健太郎のことはよく知らなかったのですが、取りあえず会ってみようと。ところが、会ったその場で決まったという感じでした。彼の話し方も感性もとても好きでしたし、何より知的な感じがしました。それで、これなら化けられるだろうと。役者と会ったときに、だいたい第一印象で、行けるか行けないかはピンときます。今回も、『クライマーズ・ハイ』(08)で堺雅人をキャスティングしたときと同じように、何かカチッとくるものがありました。
MIYAVIの場合は、アンジェリーナ・ジョリーの『不屈の男 アンブロークン』(14)で熱演しているのを見て、すごくいいものを持っていると思い、ずっと心に引っかかっていました。今回は、タイプの異なる3人のセクシーな男たちをそろえたいと思ったので、最初から、これこそMIYAVIにちょうどいい役だなと思いました。彼も脚本を読んですぐに乗ってくれました。今回は、メインの3人が割とスムーズに決まったのが大きかったです。
-今回は、『東京暗黒街 竹の家』(55)と『地獄の黙示録』(79)といった具合に、監督は、そのとき、意識したり、参考にした映画について積極的に語ってくれます。他の監督には、こうした話題を避けたがる人もいますが…。
僕は、やっぱり映画ファンとして生きているので(笑)、コンスタントに昔の映画も見るし、今の若い世代に、「こういう映画を見てほしい」と、前の世代の映画を語り継ぐことも必要だと思っています。そうした要素を少しずつでも自分の映画に入れたいとも考えています。今回も、『東京暗黒街 竹の家』は、公開当時、日本では国辱映画といわれて、お世辞にも傑作とは言えないけれど、当時の日本のストリートロケーションを多用して、ああいう犯罪映画を作ったというエッセンスみたいなものを、この映画から感じ取ってほしいというのがあったし、監督のサミュエル・フラーとは何度も会っているので、彼へのオマージュみたいなところもあります。また、原作を読んでいるときに、3人の主役の、男同士の三角関係という点で、『東京暗黒街 竹の家』を使いたいという意識が、自然に出てきたというのも大きいです。十朱はあの映画のロバート・ライアンだと。だから、どうしても十朱のビルの1階はパチンコ屋でなければならないと(笑)。
-兼高と室岡が「黒澤と小津」は「小津」、『アラビアのロレンス』と『ワイルドバンチ』は『ロレンス』などと、好きな映画について話す場面も面白かったです。
殺し屋のコンビが、「AとBのどっちがいい?」という会話をずっとしていくというのは、昔書いた脚本の中にあったのですが、それは映画化していなかったので、今回使ってみようと。それで、リハーサルのときに「何でもいいから二者択一で聞いてみて。答えは自由だから」と。「黒澤と小津」は、健太郎が自分で考えたんだと思います。ほかも現場でやり取りをしていく中で出てきた言葉です。
-例えば、『ゴッドファーザー』(72)もそうでしたが、この映画も、主人公が悪事を働いているのに、不思議と引きつけられてしまうところがありました。
そうなんです。『ゴッドファーザー』の世界観なんです。あの中のファミリーとしての部分の。法で定められた正義か悪かということではなくて。なので、今回は、原作に比べると警察側の描写を薄くしました。それは、やくざたちの濃密な関係を強く前面に出しかったからです。
-また、悪人なのに感情移入をして、悪事がうまくいってほしいと思ってしまうところもありました。
そういうふうにして見てもらえるのが、一番の理想です。ある意味、やくざの中の倫理観があって、その線に沿ってのいいやつ、悪いやつということですから。
-最後に、この映画の見どころをお願いします。
僕自身が一番好きなのはリングのシーンです。あれは見た時にかなりのインパクトがあると思うので、予告編などには出さないようにと言ってあります。実はそういう伏せ札みたいなところが見どころなので、あまり話すわけにはいきませんが(笑)。例えば、室岡はサイコパスですが、少しアングルを変えて見ると、普通の青年みたいなところもあります。でも、根底は違っていて、仲間とトランプをやりながら、一人一人を見るときに、「どうやって殺してやろうか」と考えているような目をしている。そういうものをまなざしに込めてくれと言ったら、健太郎がうまくやってくれました。そうした虚と実みたいな、際どい一線がこの映画の面白さだと思います。
(取材・文・写真/田中雄二)