妻たちの恐ろしい本音がびっしり書き込まれたSNS「旦那デスノート」。妻の投稿に気付いてしまった夫と、妻とのバトルを描いたブラックコメディー『犬も食わねどチャーリーは笑う』が、9月23日(金・祝)から全国公開される。『箱入り息子の恋』『台風家族』の市井昌秀監督作だ。オリジナル脚本も手掛けた監督と、妻の日和を演じた岸井ゆきのが、作品の魅力や舞台裏などを語ってくれた。
-主人公の裕次郎役が香取慎吾さんに決まってから脚本を書き始めたそうですが、日和役は、香取さんの妻には誰がふさわしいか、というところから岸井さんに決まったのですか。
市井 香取さんは大きい方なので身体的なギャップもありましたけど、そこは後付けで、岸井さんとご一緒したかったことが大きいです。本当に映画的なお顔をされている女優さん。一度見たら忘れない個性があるんだけど、濃い顔ではなくて表情が読み取りやすい薄さ。こういうところで「いい意味で」(劇中でディスられる裕次郎の口癖)と言いそうになるけど。表情の一つ、しぐさの一つに情報が多く詰め込まれている。もちろん、役をしっかりつかんでいらっしゃるからだと思いますが。
岸井 今の台本とは違ったんですけど、3年前に「香取さんと市井監督と映画をやります」ということで台本を頂いて、「光栄、怖ぇ~ (笑)」と思って読ませていただきました。香取さんと夫婦をやるんだというワクワクもありましたし、今、映画で、オリジナルで撮れるというのは貴重なことになってしまっているので、純粋にうれしかったし、早くやりたいなと思っていたところにコロナが入ってきて。その間に脚本が改稿されて、状況も変わりました。
-ご一緒してみて、いかがでしたか。
市井 よく野性的という表現を使うんですけど、頭の中が見えない。お芝居をしているときに考えが見えないんです。即興性があるというか。きっといろんなことを考えて演じられていると思うんですが、「用意、はい」で始まったらもう、ただ相手と対峙(たいじ)する。肝がすわっている。真っ白いキャンバスのように染まって、自分からは離れずに日和になるというか。チャーリーを触るしぐさとか、カメラが回っていなくても日和っぽいんですよね。私はこの子をずっと飼ってきましたという触り方。
岸井 私はフクロウと接するのが初めてで、何を食べて生きているのかも知らなかったんですけど、フクロウを知っている人には、それがバレるじゃないですか。例えば、たばこがそうですけど、吸っている人が見ると普段から吸っているかどうか分かる。だから最初は、チャーリーに気に入ってもらえるように意識して接しました。でも香取さんは鳥が苦手で(笑)。
市井 ほとんど、触っていない(笑)。
岸井 クルクルと鳴いて、ホントにかわいいのに。
市井 チャーリー(役のフクロウ)もすごかった。
岸井 演技派ですよね。
市井 フクロウカフェに行って見学したんですけど、実は猛きん類なのでお芝居は難しいなと思っちゃった。でも、いざ現場にあの子が来たら、全然そうじゃなかった。
岸井 プロでした。すごく大事なキャストだと思います。
市井 タイトルも撮影後に変わって、「チャーリー」がタイトルにも入りましたし。
-岸井さんは、市井監督とご一緒した感想は?
岸井 映画監督って、どの方もすごい個性を持っているんですよ。この人とあの人は似ているということがない。市井監督は…裕次郎に近い(笑)。この脚本について香取さんとお話させていただいて、「これ、ないよね」「こうすればいいよね」みたいな話をしていると、「これ、僕の物語なんです」と(笑)。裕次郎をディスればディスるほど市井さんをディスることになって。演出のときに、ホントに市井さんが「いい意味で」を使って、香取さんと顔を見合わせるみたいな(笑)。3人の関係性が楽しかったです。
-裕次郎は、監督ご自身?
岸井 監督は、最初からそれを前面に押し出されていたわけではなくて、話をしている中で「実際にこういうことがあって」という後出しだったので。最初に「僕の話がベースになっています」と言われていたら、香取さんも裕次郎をディスらなかったかもしれない。他人がとやかくいうことではない夫婦にとっての大問題を真剣に描いている作品ですから、はたから見ると、「旦那デスノート」に書くんじゃなくて、直接気持ちを言えばいいのにね、と。私たちからすれば、役に入っているとき以外は他人事になっちゃうから、「自分だったら、こうだよね」と言い合っていました。だから私は、デスノートは書かないと思います。
市井 生活になるじゃないですか。出版社の塚越が言っている部分も僕の中にはある。どこかで結婚というものに冷めている。血のつながりが全てだとは思わないけど、血のつながっていない男女が契約書を交わして生涯を添い遂げるって、冷静に考えると不自然な行為だと思うんですよね。生活をしていく中で、さまつなことの積み重ねで徐々に疲弊してしまったり、相手の都合に合わせることで知らないうちにストレスが溜まっていったりする。そういうことに浸食されて大事なことを言わなくなってしまうというのは、僕と妻の間にもあったなと。そこの部分は、この映画を作る一つのきっかけでもありました。そういう意味で、僕と妻との関係が、この映画の根源的なところには反映されていますね。
-岸井さんは、「旦那デスノート」でしか本音を言えない日和という役に、どうアプローチしていったんですか。
岸井 私の家族のことを考えました。私は未婚なので、一番リアルに見てきたものってなると、自分の家族のことなので。家族のことはどことも比べられませんが、多分ウチの家族は仲がいいと思うんです。それでも、両親が冷戦気味のときもあったし、いろんなことを乗り越えてきたんだなというのは、一緒に暮らしていて見てきたので。ささいなことでけんかをすることもたくさんあったし、はたから見たらしょうもないと思うようなことも、本人たちにとっては大問題だったりする。基本的には母親が一方的に言っていて、お父さんがホントに裕次郎と一緒、鈍感で何で怒っているのか分からないみたいな。そういうところからチョイスして、日和を作っていきました。ウチの場合は、私が間に入るから、それがデスノートに書かない理由だと思います。「お父さん、そういうときは『ありがとう』って言わないと駄目だよね」で、うまくいく。でもチャーリーは全部見ているけど、日本語をしゃべれないから。
-夫婦は他人だから逃げずに向き合わないといけないというメッセージは、『ドライブ・マイ・カー』にも通じます。さらに、深田晃司監督の新作『LOVE LIFE』でも、直接感情をぶつけ合えない夫婦像が描かれています。こういった偶然のテーマの共鳴は、一流のクリエーターほど時代性に敏感だからではないでしょうか。夫婦に限らず、今は大事な人と向き合えない時代だと思いますか。
市井 シンプルにあるとは思います。SNSとかハンドルネームの人の悪意めいた発信が、自分に対してだけではなく、すごく嫌で。匿名だから強く言い切れる部分もあるから。ですが、この映画はそういう闇をどうにかしようという作品ではなく、時代として感じてはいましたけど、そこに重きを置いて作ったわけではないです。あくまでも自分自身の夫婦が念頭にあったので。
岸井 時代のせいにはしたくないですね。
市井 そう見えているだけかもしれないですね。どんなに親しくても向き合っていないということは、いつの時代でもあると思います。普遍的な人間関係じゃないかと。
岸井 時代じゃないと思う。確かに、時代のせいにしがちというか、しやすいとは思いますけど。あくまでも、この夫婦の例だと思います。
(取材・文・写真/外山真也)