クラウス・マケラ (C)堀田力丸

 クラウス・マケラは魔法をかける。オーケストラが嬉々としてクリアに鳴り響く。音の鳴りが尋常ではない。あらゆる音がひらかれている。輝かしく精彩を放ち、すみずみまで細胞が目覚めるように、生き生きと湧き立ってくる。酵素が効いたみたいに。
誇り高きパリ管の自由な面々が、マケラとの音楽づくりを生き生きと楽しみ、一心に音を出している。なんとも心地よさそうだ。マケラが抽き出す息づかいが、終始伸びやかで自然だからだろう。しなやかに明敏な指揮で、細かな工夫も克明に凝らすが、決して全体の呼吸を傷つけることなく、全曲を通じての大きな流れをエレガントに保っていく。
だから、オーケストラの最上の音が優美に出てくる。適切な緊張を湛え、しかし余計な負荷はないから、あらゆる響きが汚れたり濁ったりせず、流麗に息づく。自分たちが美しい時間を創り出している、という誇りがオーケストラの面々に自ずと充ち満ちている。
高精度のレンズで率直に作品をみるように、マケラは明瞭な像を鋭敏に描き出す。明けていく《海》から光彩と歓喜に溢れ、明快な響きが満ちてくる。
とくに《ボレロ》が精妙で、胸のすく快演だった。管の名手のソロも優美でそれぞれに巧いだけでなく、素晴らしい節度をもって全体に奉仕するのが絶妙だ。弦の響きも輝かしく満ちて、ピチカートでリズムを刻むときも音を出す喜びに弾けている。《春の祭典》は鮮烈な生命を敏捷に躍動させ、光の舞踊と化す。しかし、それはまだ若く眩い焔なのである。
いま26歳のスターは、名門の新たな希望だ。初共演が2019年で、音楽監督として2年目のシーズンをこの9月で幕開けしたばかり。今回の日本公演は言ってみれば、待ち焦がれたハネムーンのようなものだろう。
つき合いはじめの季節だからこそのわくわくやドキドキ、新鮮な期待や予感がまざまざと伝わってきた。相思相愛の関係はいつだって熱く旬なのかもしれないが、特別ないまは、やはりいましかない。いま生で体験するほかない。
 日本を旅してコンサートを重ねるさなかにも、彼らの蜜月はみるみる幸福度を高めていくだろう。そして、クラウス・マケラが魔法をかけるのは奏者だけではなく、その場に立ち会う聴き手のまっさらな心すべてなのである。
(青澤隆明(音楽評論))