――そんな団長さんがヴィジュアル系バンドをやるようになったのは。

団長:高校にあがって進路を決める時に「俺は何ができるんだ?」と考えるじゃないですか。そこで自分の才能を自分自身でちゃんと認識して、それを伸ばすのが一番有意義だろうと思って。

その時自分ができることが「喋ること」と「人を笑わせること」と「歌うこと」しかなかったんですよ。

それを全部一つの仕事に集約すると何ができる、例えばジャズバーで歌うってのもちょっと違うな、スタジオミュージシャンみたいに歌う、それじゃ人前に出れねぇなあんまり……って思った時にステージに立つにはバンドやるしかない。バンドだったら歌も歌えるしMCで喋りたいこと喋れるし、これは一石二鳥だなとバンドのフロントマンになろうと考えたんです。

でもその時も決してヴィジュアル系をやろうとは思わなくて、当時の俺の中でヴィジュアル系は選ばれし者の別世界、例えば「王室」みたいなものなんですよ。もう血統だから、俺みたいな雑種が(笑)みたいな感覚だったんです。

それが専門学校を卒業して2年くらいまでは普通にヘヴィーメタルをやってたんですけど、ふと「今の俺は方向性を見失ってる、このままじゃいけないな」って思った時に、その「王室」のことが頭に浮かんで。

俺がもし今のキャラクターのままヴィジュアル系に飛び込んだら何が起きるんだろう? 綺麗な人がいっぱいいる世界で、皆がカッコイイカッコイイって言われてる世界で、誰よりも不細工な人間が飛び込んだらどういうことになるんだろう? 業界をひっくり返せるんじゃないかと。

それまでずっとルックスがすごく自分の中でコンプレックスだったんですよ。それを武器にできるかもしれないと思った瞬間、俺はヴィジュアル系になろうと思ったんですよね。

そういう精神が芽生えてからは楽になりましたね、フロントマンとしていることが。ヴィジュアル系になってから逆に一切取り繕わなくなったんで、ありのままの自分を出せるし、やりたいことをできるようになったので。
 

ヴィジュアル系にはキャラクターや世界観が重要ですけど、その頃にはSEX MACHINEGUNSみたいな成功例があったし、要はもう歌詞に世界観もクソもないっていう。そういう成功例もあったし、cali≠gariみたいにもう言ってる意味がわからないバンドも出てきてたし。

――cali≠gariやSEX MACHINEGUNSが出た時期って、ヴィジュアル系の世界観重視みたいなところが崩れてきたというか、幅がちょっと広がったという印象はありますね。

団長:ああいう風に、変わったことをやっている先人達がいたというのは大きいです。

ただ俺がヴィジュアル系でやりたかったことは、「俺が思ってることはこうだ!」っていうフラストレーションをどうやって伝えたらいいんだろうということで、それをストレートにやっていたのが、中島卓偉さんでしたね。

俺は自分の弱さを力強く歌う人って卓偉さんしか知らないので。自分が知らないだけで他にも多いのかもしれないですけど。

卓偉さんは自分の生き方、自分のスタイルを一番変えてくれた方だったので…今でもすごく尊敬してる人です。

『ひとりになることが怖かった』って曲があって、その曲を聴くと鳥肌が止まらないんですよ。本来ロックっていうのは「俺についてこいよ、大丈夫だ!お前たちを愛してるぜ、ベイベー!」って言うべきところを「俺は弱いんだ、怖いんだ、一人じゃ夜も眠れないんだ」ってことを爆音のロックにあわせて歌ってたあの人の姿見た時にうわぁこれだ!って。

 

 

そうやって自分をさらけ出せる人って女性ボーカルの人には多いんですけど、俺は昔JUDY AND MARYのYUKIちゃんと結婚したかったし(笑)。天野月子さんとかがやっぱすごい好きでしたね。あとCoccoや椎名林檎さんもすごく好きだったし。

男性でそうやって自分を出せるソロシンガーって俺は卓偉さんくらいしか知らないんです。