――高橋さんの出演は、作品にとっても大きかったですよね。
齊藤:本当にそうです。出演の許諾をいただく前から台本にまつわるやりとりをさせていただいていたんですけど、そのラリーで作品が本当に生きたものになって。
映画の方向性や筆致が、虚構とリアリティのバランスもそうですけど、一生さんがいま感じられていることに集約されていて、それが完成した作品全体のトーンや質感になったんです。
特に、主人公のコウジの深層心理については一生さんの名前が原案としてクレジットされてもおかしくないぐらい十二分に話したし、どこか頼らせてもらったところもあるので、もし一生さんの出演がかなわなくて、別の座組で作ったとしても、今回の作品に近いものに仕上がったと思います。
一生さんと出会ったことで、人間の多面性やある種の水っぽさみたいなものを描くことができた(齊藤)
――高橋さんの意見やアイデアで台本がどんな風に変わったのでしょう?
齊藤:以前の台本はト書きやセリフが過剰に書いてあって、感情も文字で断定されていたんです。
でも、人間って悲しいときにだけ泣くわけじゃないじゃないですか?
一生さんと出会ったことで、そんな人間の多面性やある種の水っぽさみたいなものを描くことができたというのが真相なので、ただ主演として出ていただいたということではないです。
作品を生み出す初期段階から立ち会っていただいて、見守ってくれて、さらに僕ら製作陣やほかのキャストを先導していただいたという感じです。
高橋、齊藤にとっての「家族」という存在
――『blank13』は親や家族についての映画でもありますが、おふたりにとって家族とはどういう存在ですか?
家族はかけがえのないものですけど、時に面倒くさい側面や、今回の映画が描いていたように意外と知らないこともあると思うんですけど……。
齊藤:まさにそうですね。僕自身も家族に対してだけ見せている面があるし、家族が僕に見せている面もあって、それは決して一面ではない。
映画を撮りながらそれが分かったし、自分も思い当たることがめちゃくちゃありました。
高橋:家族は他人より他人かもしれないと思います。誰よりも繋がらなきゃいけない人たちだけれど、誰よりも普段の生活では接点がないですから。