映画『blank13』は、これまでも“齊藤工”名義で写真家、短編映画の監督、クレイアニメの原案・企画・制作・声の出演、映画情報番組のMCなどマルチな活動を続けてきた俳優の斎藤工の長編監督デビュー作。
放送作家・はしもとこうじの実話をベースにした本作は、13年前に蒸発した父親(リリー・フランキー)が、ガンで余命わずか3ヶ月の状態で見つかったことから再び動き出す家族の物語を描くもの。第20回上海国際映画祭「アジア新人賞部門」最優秀新人監督賞をはじめ、すでに国内外の映画祭で高い評価を得ています。
そこで今回は、そんな話題作のメガホンをとった齊藤工さん(俳優として、長男・ヨシユキ役も兼任)と、現金輸送車の警備員の仕事をしている次男の主人公・コウジを演じた高橋一生さんにインタビュー。
出会いからお互いの印象、本作に向かう姿勢やそこに込めた思いなどを伺いました。
自分にしか撮ることができない映画を目指した(齊藤)
――『blank13』は放送作家・はしもとこうじさんの実体験がベースになっていますが、長編初監督作品になぜその題材を選ばれたんですか?
齊藤:最初は映画ではなく、完成した作品の後半の葬儀場のシーンにあたるコント映像の企画で、そこがはしもとさんの実話に基づいたものだったんです。
それが徐々に変形し、いろんなところからの情報を得て70分の尺があれば海外の長編の映画祭に、それこそカンヌなら60分あれば出品できるということも知っていく中で、当初目指していた配信という形ではなく映画という佇まいになっていったんです。
――セリフを極力排したり、偶然性を狙ったり、「既存のものではない」自分にしか撮ることができない映画を目指したということですし、「火葬」をテーマにしたのも世界を意識してのことだとテレビのインタビューでコメントされていましたね。
齊藤:グザヴィエ・ドラン(18歳のときに撮った初監督作『マイ・マザー』(09)でカンヌを熱狂させ、その後も斬新かつ挑発的な作品で世界の映画祭や映画関係者、映画ファンを魅了し続けているカナダの若き鬼才)が出てきたあたりから、映画の文法なんてないのかなと思うようになって。
まあ、ジャン=リュック・ゴダール(『勝手にしやがれ』(60)、『気狂いピエロ』(65)などで知られるヌーヴェル・ヴァーグの代表的な監督)が登場したときもそうだったと思うんですけど、スタンダードな映画に対して、それらのベーシックな文法とはまったく違う角度の映画が生まれ、亜流と主流がいたちごっこみたいな感じになっていると思うんです。
でも、映画には「絶対2時間なければいけない」とか「起承転結が明確でなければいけない」というルールなんて本来ないはずじゃないですか。
特に今回は、さっきも言ったように、もともとコント企画として始まったので、ドラマ性も後から生まれたし、そこは平昌冬季オリンピックに参加した韓国と北朝鮮の選手からなる混合チームが誕生した流れにちょっと似ているなと自分では思っています(笑)。
虚構の作品にも“真実”が落とし込まれる奇跡的な瞬間があった(高橋)
――高橋さんは齊藤工監督から主演のオファーがあったときはどんな感想を持たれましたか?
高橋:俳優の工さんはもちろん存知あげていましたが、最初はなぜ僕にお話がいただけたんだろう? と思いました。
けれど、実際にお会いして話してみたら僕が出演した作品をいろいろ観てくださっていたのが分かりましたし、僕も工さんのお話は人づてに聞いてはいたので、こんなふうに繋がることもあるんだと思い、純粋にとても嬉しかったです。
――台本を読まれて、俳優としてどこに面白さを感じられました?
高橋:人の“死”が淡々と書かれていて、本質にすごく迫っているような気がしたんです。
作品はどれも、どこまで行っても虚構なので、そこで求められる芝居のリアリティって何なんだろう? と思うこともあるんですけれど、虚構の作品にも“真実”が落とし込まれる奇跡的な瞬間があって。
その“奇跡”みたいなものをこの作品の脚本から感じましたし、工さんが監督としてそれをどんな風に表現されるのかということにも興味があったので、ぜひやらせていただこうと思いました。
―――ほかの記事で読んだのですが、高橋さんは最初「少し考えさせてください」と言って一瞬躊躇されたそうですね。
高橋:お話を最初にいただいたときに、人の死が実際に身近であったので、芝居をするときに自分の素の感情が出てしまうかもしれないしと思ったんです。
それは危険なことだと思って。作品にはとても興味があったんですけれど、最初の時点では自分自身との距離をちゃんと測れるのか自信がなかったんです。
――齊藤監督から強くクドかれるようなことはなかったんですか?
高橋:なかったですよ。むしろ、僕が身近な人の死を打ち明けたので、工さんもさすがに強くは言えないと思ってくださったんでしょう。
最後の方は半ば諦めかけていたように見えました(笑)。
けれど、最後に渡された脚本で僕はどこか腑に落ちるところがあったので、タイミングだったんでしょうね。
それに、僕のことを気遣ってくれた工さんが人としてとても素敵な方だと思えたので、それも出演を後押しした一因だったような気がします。