渡辺謙(スタイリスト:JB/ヘアメーク:倉田正樹(アンフルラージュ )) (C)エンタメOVO

 「役者道~渡辺謙があなたに語る仕事と人生~」が、2月19日(日)午前10:00からWOWOWで放送・配信スタートとなる(全4回・初回無料)。これは、ハリウッドでも活躍する名優・渡辺謙が、テレビデビュー40周年を迎え、モノローグ(独り語り)でこれまでの人生やキャリアを徹底的に語り尽くす、全く新しいスタイルのドキュメンタリーシリーズだ。放送を前に、番組に込めた思いや俳優としての考えを語ってくれた。

-渡辺さんが40年のキャリアを振り返る貴重な番組ですが、そういう機会はこれまでなかったと思うのですが。

 ないですね。あまり振り返ろうという気もなかったですから。というか、むしろ振り返るのはちょっと嫌だなと思っていて。「あいつ、そろそろ引退か…?」と思われそうじゃないですか(笑)。

-それがなぜ、この企画を受ける気になったのでしょうか。

 以前、クリント(・イーストウッド)のドキュメンタリーを見たとき、クリントも最初から売れたわけじゃなく、テレビドラマから出て、マカロニウェスタンをやり、『ダーティハリー』(71)のようなアクション映画もやり、今に至る、というアップダウンのある、折れ線グラフみたいなものを改めて知って、「俳優の人生って、なかなか面白いな」と思ったんです。そういう意味では、僕もいろいろアップダウンはありましたし、作品に対する思いや、心根みたいなものを、ちょっとでも発信できれば、多少なりとも次の世代や、これから海外に出たいと考える若い俳優の役に立てるかなと思って、やってみるかと。

-次の世代や海外を目指す若い俳優のために、という「継承」の意識は、もともとあったのでしょうか。

 もちろん、ずっとあるんですけど、僕の経験だけが生かされるわけでもないので、その辺はなかなか難しいよなと思っていたんです。でも、「海外に出て行くなら、こういうことが大事」ということは、伝えて行かないとゼロになっちゃうので、少しでも力になれればと。ゼロから海外に出て行くのは、本当に大変ですから。

-継承という点では、番組の中で、主演したNHKの大河ドラマ「独眼竜政宗」(87)で勝新太郎さんと共演したときの話をしていました。その後、渡辺さんは大河ドラマに何度も出演し、最近では「西郷どん」(18)で、主演の鈴木亮平さんと濃密な芝居をしていました。そこから、大河ドラマを通した、勝さん、渡辺さん、鈴木さんという伝統の継承が見えてくる気がしました。

 結局、僕らの場合、体感でしか伝えられないんですよね。だから、勝さんのときも、勝さんが「おまえな、こうで、ああで…」と言ったわけではなく、「かかってこい」とやってくれたことによって、僕は「そういうことなんだ」と思えたし、だから僕も、鈴木に「かかってこい」とやったわけで。そういうことでしか、核心みたいなものは伝えられないんです。僕らは歌舞伎のような伝承芸ではないけど、「継承する」という意味では、僕らが先輩たちにやってもらったことを、今度は僕らがやって見せて、後輩に「やってみろ」とやるしかない。

-そうすると、大河ドラマには継承の場としての意義もあると?

 あると思います。あれだけ大掛かりな作品は、今、そうありませんから。たとえどんな役でも、学ぶことはたくさんあると思います。

-番組の中で、武士の“すね当て”の結び方を披露していましたが、あれも大河ドラマの現場で学んだことでしょうか。

 そうです。大河の小道具を手掛けている高津装飾美術という業者のよろいのオーソリティーの方にたたき込まれました。これが一番、ファンクショナブルで、美しくて、全体のシェイプもきれいになると教わり、「なるほど」と。単なるひもの結び方なので、どうってことないように思えるんですけど、その考え方が全体に関わってくるんです。演じ方にしても、いかに効率的で、シンプルで、美しく見えるか。そういう所作にも関わってくる。だから、僕はいまだにそれを踏襲していますし、僕が考える美学という意味では、それがベストだと思っています。

-そういうちょっとしたことでも、今はなかなか学ぶ機会がないと?

 今の若い俳優は、全部やってもらっちゃうんですけど、それだと身につかないんですよね。昔、『海と毒薬』(86)に出たとき、僕ら毎日、ゲートル(すねの部分に巻く布・革でできた被服)を巻く練習をさせられましたから。「何秒で巻けるか?」ってみんなで競争して。でもそれって、戦時中、学生たちがやっていたことと同じなんですよね。「役を作る」と型にはめるのではなく、そういうことを面白がって、その時代を生きることができるかどうか。そういうことが大事じゃないかと思うんです。

-話は変わりますが、番組の中で『GODZILLA ゴジラ』(14)に出演したとき、最も大事にしていたシーンをカットされたことを悔しそうに語っていたのが印象的でした。そういう経験をすると、ご自身で監督をしようという気になりませんか。

 クリントの作品(『硫黄島からの手紙』(06))をやったとき、「僕の気持ちを全て酌み取ってくれる優秀なスタッフが全部署にいたら、やってもいいかも」と一瞬血迷ったことはあります(笑)。でもやっぱり、僕はただの俳優なんですよね。編集が苦手で。どうしても演者の気持ちになっちゃうので、無慈悲には切れない。

-編集は他の方に任せることもできますよね。

 そうすると、「なんであれ切ったの? それは俺の作品じゃない」って文句言っちゃうから(笑)。

-なるほど(笑)。

 実はちょっとさかのぼるんですけど、僕が主演したフジテレビの時代劇「御家人斬九郎」(95~02)で監督をしたことがあるんです。でも、それは最終回だったし、主人公を主観的に見る話にしてもらったので、やれただけで。

-クリント・イーストウッドは、俳優から監督になりましたが。

 あそこまでは、割り切れないですね。クリントの割り切り方はすごいですよ。あと、僕らが思う以上に俳優を信頼してくれるから、すごく責任を感じる。だから、ニノ(二宮和也『硫黄島からの手紙』で共演)にも、よく「映画は100年ぐらい残るから、ちゃんとやろうぜ」と言っていたんだけど(笑)。それに対応できるところが、ニノの良さでもあるんですよね。クリントもそういう部分をうまく見分けて、ちゃんと差配している。あれはちょっと、僕にはできないです。

-『明日の記憶』(06)、「TOKYO VICE」(22)などで、プロデューサーは務めていますね。

 これぐらい続けていると、作品をよくするためにはどういう方法論を取ればいいのか、ということに関しては、多少なりとも手助けできるわけです。俳優だけやっているときでも、似たようなことをする機会はあるので。例えば、現場で、「もうすぐ日が落ちるから、今日は撮影を先に進めないと駄目だと思うよ」みたいなことを言ったり。それはある意味、プロデューサー的な目線なので、その辺で僕が力を発揮できることはあると思うんです。でも、監督は「集めた素材を、イエスかノーかでぶった切る」みたいな、もうちょっと冷酷な判断が求められるので。

-だから、そこまでにしておこうと。

 はい。ブレーキを踏んでいます(笑)。

(取材・文・写真/井上健一)

役者道~渡辺謙があなたに語る仕事と人生~