門井慶喜の直木賞受賞作を映画化した『銀河鉄道の父』が5月5日から全国公開される。宮沢賢治(菅田将暉)の父である政次郎(役所広司)を主人公に、究極の家族愛をつづった本作の成島出監督に、映画に込めた思いや主演の役所について聞いた。
-「いつか宮沢賢治の映画を撮りたいと思っていた」と聞きましたが。
その思いはずっとあったのですが、いろいろなことを調べて、いざ映画にしようと考えると、とても難しいということに気付きました。宮沢賢治には、今でいうところの分裂症や発達障害みたいなところがあって、(賢治の親友の)保阪(嘉内)くんという男性も出てきたりして、とっちらかるんです。やっぱりそれは、天才の宿命でもあるのですが、そうしたことを描かないと面白くならないし…。大森一樹さんと神山征二郎さんの映画(『わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語』(96)と『宮澤賢治 その愛』(96))も真面目に捉えていましたが、そういうことではないと思っていました。それで、やっぱり難しいなと諦めていました。
そんな中、偶然本屋さんでこの原作と出会って、読んでみると賢治に振り回されたお父さんの話で、なるほど、お父さんが主人公なら、保阪くんも出てこないし、お父さんから見た天才、問題児としての賢治が描ける、これはいけると思いました。それに、お父さん自体がとても面白い人で、イクメンというか、散々賢治に振り回されながらも愛し続けるという、あの時代にしてはすごい人だと思って、賢治もさることながら、お父さんの魅力もあって、これは映画になると思いました。
-これまでは、賢治にとっては敵役のように語られることが多かった政次郎を、今回は、実は息子を愛し過ぎた保護者であり、最大の理解者であったという視点から描いてイメージを一新した感じがしましたが。
理解者であったという点では前々から有名なんです。宗教も賢治に合わせて改宗したり、賢治がやりたいということをやらせたり…ということは全部残っています。なので、そういうことは前から知っていました。ただ、ここまで親ばかでイクメン的なものがあったということは、(原作者の)門井(慶喜)さんが調べていって出てきたことなので、それは初めて知りました。そこがすごく面白かったです。
-この映画は、とかく聖人、人格者、理想家として語られることの多い賢治像を、父へのコンプレックスを持った駄目男、ドラ息子としての側面から浮き彫りにしていくところが、とてもユニークでした。
どうしても一元的に見てしまいがちですが、これも両方が本当のことですよね。アインシュタインもモーツァルトもゴッホも、世界中の天才と呼ばれる人にはそういうところがあります。賢治もそういうジャンルの人だったということです。だから、そのお父さんはさぞ大変だったろうなと。ただ、その一方で、賢治も学校の先生をして頑張ったり、農民のためにいろいろと尽くしたりしたことも事実で、どちらか一面というわけではありません。今回は、お父さんを振り回すという意味でいえば、菅田将暉くんのキャスティングも含めて、ちょっとやんちゃな部分を強調しています。
-「この映画は役所広司と菅田将暉で撮りたかった」という監督の談話を読みました。役所さんの持つシリアスな面とコミカルな味、菅田さんの持つ狂気性とピュアな感覚が生かされた適役だったと思いますが、実際にこの2人で撮ってみていかがでしたか。
今回は、最初からこの2人以外は全く考えていなかったので、とてもよかったです。まだシナリオが一行もできていなかったときに、2人の事務所に原作を持って行って、「絶対映画にしますから、これを読んで前向きに考えてください」とお願いしました。事務所の人から「まだシナリオもないのに、こんなことは初めて」と言われました(笑)。そのぐらい、「この2人じゃないと駄目だ」と思っていました。出来上がった映画も、イメージ通りで、この2人で本当に良かったと思いました。
-2人以外でも、母・イチ役の坂井真紀さん、妹・トシ役の森七菜さんと、女性陣も印象的でした。
実は、家族ということを考えた場合に、この2人の女性がいる意味はとても大きいと思いました。2人とも、とても頑張ってくれました。
-時折、画面を揺らしたり、構図を変えたりした意図は? 政次郎や賢治の心の揺れを表現するためだったのでしょうか。
こういう明治の話で、収まりがいい形にはしたくないと思いました。賢治とお父さんの荒ぶる魂というか、そういうものをカメラと一緒に感じてもらえればと思いました。
-今回のように、とても強いイメージのある原作を映画化する難しさはありますか。
原作の前に事実があり、実在の人物がいるというものを映画にする場合は、前に役所さんとやった『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(11)もそうですが、そんなにうそはつけません。今回もそのパターンです。今回は、事実があって、宮沢賢治も政次郎さんも、その家族も実在していたということは、シナリオを作っていく上では、とても大きかったと思います。
-役所さんとは、前作の『ファミリア』(23)に続いての仕事になりました。2作続けて役所さんが演じる異なる父親像を撮ってみて感じたことはありますか。
この2作は全然違う役ではありますが、役所さんのすごいところは、本当に役に成り切るところです。あの年齢で、自分の我や個性よりも役が強いという。あのレベルの俳優でそれができるのは、僕が知っている範囲では役所さんだけです。これは希有なことで、例えば『ファミリア』を勝新太郎さんでやって、この映画もやったら、勝新さんが勝つじゃないですか(笑)。役所さんの師匠でもある仲代達矢さんがやっても仲代さんが勝つでしょ。山崎努さんにしても、緒形拳さんにしてもそうです。ところが、役所さんは『ファミリア』の誠治さんと、この映画の政次郎さんの方が勝つんです。これは本当に希有なことですごいと思います。どうやったら、それができるのか本当に不思議です。
-「おれもとうとう、お父さんに褒められたもな。ありがとがんした」という賢治のせりふもありましたが、賢治は政次郎に認められたい一心で行動したとも思えますね。
今も虐待や親子で殺し合う事件があったりしますが、やっぱり、家族の人格構成の基本は、褒めてもらいたい、愛してもらいたいということだと思うので、賢治みたいな危険な人、壊れた人は、褒めてもらいたいという本能が人一倍強かったんだと思います。賢治も、本当は認められたかったと思いますが、ただゴッホと同じで、「この人が認められたら、どんな人格になっていたんだろう」と思うと、ちょっと恐ろしくはあります(笑)。賢治が花巻で大金持ちになるような姿は見たくないような…。
(取材・文・写真/田中雄二)