「子どもが通う児童館で知り合い、仲良くなったママ友がいます。
シングルマザーの彼女は一生懸命仕事をしながらお子さんを育てており、大変なのは見ていてわかりました。
私はフルタイムで仕事をしているのは同じですが夫がおり、家族の団らんの話なんかは避けて子どもや自分について話題にすることが多かったです。
あるとき、お盆の過ごし方について市外の実家に帰省すると彼女が話すのを受けて、『うちは義実家に行ってバーベキューをする予定だけど、親戚が多いから大変』と答えました。
すると、ママ友は『離婚してからみんなでバーベキューなんてしたことないけど、楽しそうでいいね』と皮肉っぽい口調で返してきて、焦りましたね。
『私の離婚を気に入らない親族がいて、お盆は誰も実家に来ないの』と続けられ、状況の違いを知りました。
私は純粋に大変という意味でバーベキューの話をしたけれど、彼女にとっては親戚たちと大人数で楽しく過ごすマウントに感じたのかもしれません。
彼女の状態を知らなかったので仕方がないのですが、ただの愚痴でもマウントと受け取られることがわかり、改めて怖いなと思いました」(42歳/営業)
その人にどんな事情がありどんな背景を背負っているか、普段の関わりで見えてこない部分については話してもらうまで知ることはできません。
「ママ友の状況を知っていればこんな話題は出さなかった」とこちらの女性は話していましたが、この話だから知った現実でもあり、まさに皮肉な出来事だなと思います。
軽い愚痴も、人によっては「それができない自分」を思い知らされる瞬間になるのですね。
マウントの意識はなくても、人の受け止め方は操作できないのだと改めて考えます。