離婚すれば、元配偶者との関係がすっきりと切れる場合もありますが、子どもがいる場合は、面会交流などの問題でそうはういかないときもあります。

元配偶者は他人でも、子どもにとっては父親なら、そのつながりが離婚後も距離を縛ります。

ある女性は、離婚した後でもそのまま変わらない元夫の態度から、「もう一度」離れるべく、ある選択をしました。女性に何があったのか、ご紹介します。

モラハラ気質だった夫との離婚

由美子さん(仮名/37歳)は離婚してから一年半、今は両親とふたりの子どもと一緒に暮らしています。

「モラハラ気質というか、自分が気に入らないとすぐ不機嫌になって、物に当たるような人でした」元夫についてそう話す由美子さんは、共に正社員として働きながら、「私が係長に昇進してからモラハラがもっとひどくなった」と記憶していました。

部下と一緒に日々楽しそうに働く由美子さんに「女のくせに、調子に乗るなよ」と言い始めてから、残業がある日は「家庭を疎かにするなんて、最低だな」と必ず嫌味が飛んできて、子どもたちの世話も「俺だって忙しいんだからな」とお風呂にも入れようとしなくなったといいます。

「それでも、離婚までは考えなかったんですね、子どもたちがまだ懐いていたので。
私は昇給もあって元夫と収入に差はなくなってきたし、それで溜飲を下げていました」
心の中で夫に文句を吐くだけに留めていた由美子さんですが、我慢できなくなったのは会社で社員向けのイベントがあったとき。

「会社が食事やビンゴゲームなどを用意してくれて、社員が家族と一緒に来て楽しむ内容でした」ゲームもあるとわかって子どもたちは大喜びでしたが、それに渋い顔をしたのが元夫で、「くだらない催し物に行く気はない」ときっぱり拒否したといいます。

「それはよかったのですが、問題は子どもを連れて行くなと言い出したことです。
要は、家族連れの社員のなかで誰も来ていない私にしたかったのだと思います」

唇を噛んで当時を思い出す由美子さんは、「お母さんと行く」と泣き出した小学一年生の息子に向かって「こいつと行くなら、お前とは二度と遊ばないからな」と怒鳴った夫に、「限界を感じた」そうです。

自分だけを攻撃するならまだしも、我が子の心まで平気で踏みにじる姿にもう無理だと思った由美子さんは、離婚を決意します。

「前から、自分たちの元に滅多に訪れず、来てもつまらなそうに庭でタバコを吸うばかりだった元夫には、両親も呆れていました。事情を話して離婚すると言ったら、それがいいとすぐに賛成してくれたのは心強かったですね」

元夫の人間性からして、離婚したいと言っても絶対に頷かないだろうと思った由美子さんは、最初から両親を間に入れた話し合いを考えます。

「ある日曜日に、父親に家まで来てもらいました。母が子どもたちを連れて買い物に行ってくれて、元夫はすぐに嫌な予感がしたようでまた不機嫌そうな顔をしていましたね」

三人で集まったリビングで「これ以上一緒に暮らしたくないから、離婚したい」と切り出した由美子さんに、元夫は「父親の様子を気にしながら」それは嫌だと返したそうです。

由美子さんの父親が「妻の大事な用事から子どもまで取り上げようとして、それでも父親か」と一喝したら、黙ったといいます。

「私には目を釣り上げて怒鳴るくせに、私の父に怒られたら黙るのが本当にみっともなくて、さっさと離婚したいと思いましたね」

「こんな人間の元に娘と孫を置くことはできない」と言い切る父親はその後も元夫のモラハラと言える言動を責め、一時間後には「離婚する」と元夫は承諾します。

「そのときに、貴重品とか着替えとかをまとめて家から持ち出しました。絶対に腹を立てているだろうし、親がいない場所で私にどんな危害を加えるか、正直に言えば暴力を振るわれるかもと思っていました」

子どもたちには、最初「おじいちゃんのところに泊まりに行くよ」と話して、そのまま別居に進むつもりだった由美子さん。「学校にも別居に至った事情を話して、学区外からの通学を認めてもらいました。子どもたちの送迎も両親がしてくれて、本当にありがたかったです」

由美子さんの実家で暮らし始めたその後も、父親が同伴の元で元夫と協議を進め、親権は由美子さんが持つこと、財産分与はきちんと二分することなどを決めます。

「子どもには会いたいと言うので、渋々、面会交流についても話し合いました。養育費を払うことも決めて公正証書を作ったし、面会は子どもの権利だと思い、月に一回、元夫の元に泊まりに行かせる約束でした」

「全ての場に父親が一緒だった」と振り返る由美子さんは、このことが、離婚後の夫の気持ちにも影響したのだと確信しています。