共通言語に基づいた上でそれをどのようにカスタマイズするか
――ゴールデンボンバーはヴィジュアル系シーンを飛び越えてお茶の間にまで浸透したのは何故だと思います?
マキタ:彼らはヴィジュアル系というシーンに埋もれたくない、従属したくないところがあったんじゃないのかな。そもそもヴィジュアル系のシーンの真ん中みたいなものがあるとしたら、彼らは明らかにそこにはいないでしょ。ゴリゴリのヴィジュアル系っていうわけじゃない。キリショーはNSC(※吉本興業のお笑いタレント養成所)に通ってたわけだし。
キリショーのラジオに出演した時に「なんでヴィジュアル系だったの?」と聞いた時、「だってヴィジュアル系っておもしろいじゃないですか」って。おもしろいことができる可能性があると。
ヴィジュアル系というのはゾンビ映画みたいなものだと思っていて。ゾンビも「ゆっくり歩く」というのがセオリーだったんだけど、最近のゾンビは走ったりするじゃない。そういうことができるのは「型」があるからで。そういう共通言語に基づいた上でそれをどのようにカスタマイズするか。つまり大喜利ができるかってことです。そこをお笑い芸人的な手法と聡明な頭でもって「弄れる」って思ったキリショーは凄いなと思います。
――様式を押さえていれば、逆になにをやってもいいジャンルですからね。それこそ演奏してなくても受け入れられる。
マキタ:先日ヴィジュアル系のイベントを観たんだけど、生バンドである必要性が無いと改めて思って。そりゃあゴールデンボンバー出てくるよ。
ライブハウスで体験する音楽的な楽しみのひとつというか流儀というか「音がいいよねこの小屋」とか「あそこのバンドの音作りは乗り込みでPA連れてきてるから違うよね」とか、そういうことじゃない。基本的にはそれぞれが違う曲をやっているけど、音像としてはほとんど同じ。低音と高音、ハイとローが極端に突出しているわけ。全部"ドンシャリ"なんですよね。今の若い子はクラブでもなんでも基本的に"ドンシャリ"好きなんだけどね。
音楽好きなひとはよく言ったりするじゃない。「あの4人が生み出す音のグルーヴ」とか言うじゃない。そういうのではなくって、お客さんがいかに楽しめるか。ホストのコール選手権的なものを極端に進化させてる。音を楽しむということと違うものにちゃんと進化させている。
もちろんグルーヴの原型みたいなものは根底には残ってると思うんだよ。ただ優先順位は低い。ヴィジュアル系バンドの子たちも、個々の演奏技術は高いと思うよ。ただ「演奏力を聴きに来てる」人たちに向けてやっているわけではないじゃない?
――ヴィジュアル系のライブの楽しみ方というのは「じっくり音楽を聴く」というよりは「演奏中に体を動かすこと」が主流になっている印象はありますね。
マキタ:感覚的な話をするけど、「味付けが濃い」って思うわけ。これはもうヴィジュアル系に限った話ではなくて、ドラマにしても『半沢直樹』みたいに、今の時代ヒットするものって物語のプロットのおもしろさや役者のお芝居の機微、演出のディティールもあるけど、もっと「味付け」の部分が濃くないとダメなのかなあ。
俺はよくそのことをラーメンでたとえてるんだけど、ラーメンの味がどんどん濃くなってきている。つけ麺のスープもメチャクチャ味が濃いじゃない。甘くて辛くてしょっぱくて…、ハイとローしかない。
――その例えはすごくわかります。