ひたすらやってもできないから、"根性で乗り越えろ!"っていうのは絶対に違うと思った
郭「24、5のころですかね。そのころ前の事務所をやめて、仕事や家族のことでリアルに悩んでいたんです。僕、幼稚園のころからこの仕事をやってるんですけど、24歳ってまだ若いから、ほかにもいろいろできることはあるんじゃないかな?って考えたり、何も考えたくない自分がいたりして。そういう葛藤はあったんですけど、いまの事務所に入って、その堕落した生活からなんとか抜け出すことができました」
廣原「僕は高校まではスポーツが好きで、何かのスポーツ選手になりたいと思っていたんです。それこそ高校時代はバスケ部で、練習が結構厳しかったし、一生懸命やってもできないから怒られてばかりいて。ひたすらやってもやっぱりできないから、根性で乗り越えろ!っていうのは絶対に違うと思った。頑張ればなんとかなるって、ずっと信じていたんですけどね、でも、そこで心が完全に折れたときに、この方向性はやめようと思ったんですよ」
郭「映画監督になろうと思ったのは?」
廣原「スポーツで目が出なかったから、大学で何かやらなきゃいけないなって悩んでいて。そのときにテレビドラマが好きだったし、俺の方が面白いものが作れるんじゃないか? 映像だったらたくさん仕事があるんじゃないか? と思って。そんな浅はかな考えで東京藝術大学に入って、映画にのめり込んでいったんです(笑)」
郭「僕の場合は、高校一年のときに出演した初めての映画が大きかったですね。岩井俊二監督の『リリイ・シュシュのすべて』(’01)なんですけど、そのときに初めてこの仕事が面白いなと思ったんです。同年代の役者と仕事のことについて話したのもそのときが初めてだったし、そのときに“この仕事でやっていきたいな”という気持ちが芽生えたというか。周りには役者になるのを迷っている人もいたけど、俺はやっていきたいと思っている方でしたね」
郭「いいですよね、映画って。みんなで集まってワイワイ話すじゃないですか、どんな映画でも絶対に。映画がなかったら、僕もそんなに真剣に議論することなんてないと思うから、映画はすごく貴重だなと思います」
ふたりの場合は若いうちにやりたいことが見つかったからいいが、世の中には健二のように、大人になってもそれが発見できない人たちも数多くいる。