教授:「仏教徒や神道を信仰している日本人は一般に他宗教に対して寛容です。しかし、日本人の一%に満たないキリスト教徒は必ずしもそれほど他の宗教に寛容とは言えないかもしれません。特にプロテスタントは聖書中心主義です。「聖書に書いてあることを唯一の規範」とする考え方ですよね。もちろん一神教の一つですから自分たちが信じている神以外の「神」を拝むことは偶像礼拝として退ける傾向があります。
ですから、例えば、地蔵盆に参加したり、おみこしを担ぐこと、仏式のお葬儀でのご焼香なども、キリスト教信者の中には「とんでもない!」と考える人もいます。そういう方々にとっては、聖書ネタのパロディなんて、論外だということになるでしょう。
ただ、正確にいうと、そこには幅があります。日本のキリスト教徒の中には他宗教に対して、寛容な人もいれば、厳しい人もいる。
それはどこの国でも同じだと思います。
それに、これは意外に思われるかも知れませんが、どちらかと言えば「カトリック」の方が他宗教の「実践」に対して寛容なところがあります。多くの場合、そうした「実践」を一つの文化的習慣と捉えて、それを自分たちの世界に取り込む傾向があるのですよ。例えば、カトリックの世界では「座禅」を自分たちの信仰の養いの一つ方法として取り入れている所もありますから。
日本の仏教や神道は、その点でさらに寛容なところがあります。一神教であるユダヤ教やキリスト教、イスラム教のように、この世界を創造した「唯一神」を排他的に信仰するというところが日本の宗教には希薄です。神道は特に儀礼を中心とした実践主義的な宗教ですし、「八百万の神」となれば、「どんな神様であれ、加わってくれるのであれば悪いことではない」ということになります。
お寺さんの中には、子どもたちを集めてクリスマス会を行っているところもあると聞きます。こうした信仰を持つ方々は、友人のキリスト教徒の人が亡くなれば教会でのお葬式に参列してくださるでしょうし、キリスト教葬儀の習慣の一つである献花もしてくれるでしょう。」
教授はこんな風に答えて下さいました。筆者は勉強不足だったため、想像していた考えと真逆で、とても驚きました。
世界を見ると、ほとんどの国が宗教国家です。アメリカでは、大統領就任式で、左手を聖書において宣誓する。ヨーロッパでも生まれた子どもの多くは、幼児洗礼を受けます。
そのため、宗教色の強い他国では「宗教ギャグ」が描かれている漫画を読む、ということは今もかなり厳しい状況にあるように思います。