今明かされる、「こぐま」誕生の経緯

加藤さんによれば、その後「こぐま」は店主が2回ほど変わっているので、現在の店主とは直接面識がないそうだ。そして、当の山神さんは、藤沢市内で協栄山神ボクシングジムを経営しているという。

牛乳ラーメンとボクシング、そこには一体何の関係が…。早速、そのジムを紹介してもらい、山神さんを訪ねてみることにした。

藤沢市西富にある、協栄山神ボクシングジム外観
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左側でミットをはめているのが、山神会長
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JR藤沢駅から歩いて20分ほど、遊行寺交差点の近くに、そのボクシングジムはあった。ジム内に入ってみると、汗臭いような印象とは裏腹に、若い女性がリング上に立っていた。

1968(昭和43)年設立以来、すでに日本チャンピオン2人を輩出させているのが、この協栄山神ボクシングジム。練習に励んでいた藤沢市内在住のSさんによれば、「ボクササイズではなく、本格的なボクシングを学べると聞いて、興味を持った」と話していた。

さて、山神会長に「牛乳ラーメン」の件を確認してみると、確かに「こぐま」の生みの親だという。そればかりか、最初はこの場所で、「牛乳ラーメン」を作っていたと話す。

75歳なのにこの若さ、元気の秘密はどこにあるのだろう
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野口ジムから独立していった、若かりし頃の金平正紀氏(右)と、山神会長(左)
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会長は1955(昭和30)年頃、都内の目黒区にあった野口ボクシングジムに所属し、現役のボクサーとして活躍していたとのこと。やがて野口ジムの近くに、当時としては珍しかった札幌ラーメンの専門店ができると、すっかりその味にほれ込み、通うようになっていったという。

一時は、目黒の有名とんかつ店「とんき」の料理人を引き抜き、金平氏と「とんきん」というとんかつ店を経営していたという山神会長。やがて、指導者への道を歩み始めると共に、これから流行しそうな札幌ラーメン店も開こうと考えたそうだ。そこで、札幌ラーメンの専門店で一週間ほど修行をさせてもらうと、協栄山神ボクシングジムの開設後、ジムの一角でさらに研究を重ねたという。

そんなとき目に付いたのが、当時藤沢駅前の「さいか屋」で売っていた「4.5牛乳」。一般の牛乳より脂肪分が高いので、コクのあるクリーミーなラーメンが作れるのではないかと、ひらめいたらしい。

「青線地区」としての歴史を持つ、藤沢駅北口周辺
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一方、当時の藤沢駅北口では、風俗店などを藤沢新地へ移す再開発計画が進められていた。今の「こぐま」の土地は、もともとすし店とスナック店があった場所なのだが、その影響で閉店してしまったそうだ。

そこで1970年代のはじめごろ、その土地を購入し、初代「こぐま」が開店することになった。

その後、ジムが軌道に乗り始めたこともあり、「こぐま」は台湾出身の方に売却。現在は、「また別の方が引き継いだと聞いているが、行ったこともないし行こうとも考えていない」と、会長は話していた。