皆さんが“港町”と聞いて、思い浮かべる場所はどんなところでしょうか。横浜、神戸、長崎、函館などなどあると思いますが、どこもが一種独特な雰囲気を醸し出しています。江戸時代末から明治時代にかけて、日本は外交の門戸を大きく開きました。混乱も起きましたが、大きな刺激になったのは間違いなく、先に挙げた港町を基点として、日本に大きな影響を与えています。そんなエキゾチックな雰囲気を持つ港町には、多くの人々を魅了するものがあります。
その港町のひとつ、横浜を舞台にした漫画が、小学館『ゲッサン』で連載中の『ちろり』(小山愛子)です。大開港時代とあるので、おそらく明治の中頃でしょうか。港に面した喫茶店「カモメ亭」で働く女の子、ちろりが主人公です。住所は“横濱海岸通り21番地-B”とありますが、もちろん地図で探しても出てきません。周囲の光景からすると、住所そのままに海岸通りか、もしくは山下町辺りを想定しているのではないかと思います。ただ横浜も明治時代から埋め立てが進んでいるので、そっくりそのまま思い浮かべるのは難しいかもしれませんね。
漫画は2011年『ゲッサン』1月号でゲスト掲載の後、7月号から連載開始。2月10日(金)にコミックス1巻が発売されます。ちろりの日常やカモメ亭に訪れるお客さんとの交流を描いた漫画なので、とりたてて大きな事件が起きるわけではありません。ゆったりと流れる雰囲気を楽しむ漫画になっています。恋愛模様は……ほのかに感じられるかな。
コミックス1巻分しかありませんので、まだまだ不明なところがたくさんあります。主人公のちろりですが、「今度13になる……12だったかも」のセリフがあることから、年齢は11歳か12歳。知り合いの紹介により、カモメ亭に住み込みで手伝いに入ってます。そこだけ読んでも、『何かワケアリなんだろうな』と。ちろりが働くカモメ亭も、港に面して人通りの多い一等地にあります。外見は二階建て(屋根裏もあるかも)で、1階が喫茶店、2階が住居部分になっています。そのカモメ亭の主人が「マダム」です。ちろりからも、常連のお客さんからも、マダムと呼ばれています。髪をアップにした和服美人なのですが、本名も年齢も明らかになっていません。推測するに20代半ばからせいぜい30代半ば、おそらく独身なんでしょうけど、カモメ亭を立ち上げたいきさつなども不明です。うがった見方をすれば、どこかにオーナー兼パトロンでもいて、マダムが店を任されてるのかなぁとも。我ながら下世話な深読みをしてしまってます。
作者の小山愛子氏、掲載誌 『ゲッサン』の読者ページ『仕事場見たいし』(横山裕二)にも登場しています(掲載時は『喫茶 小山愛子物語』)。青森生まれ横浜育ちとのことですので、この『ちろり』につながったと思われます。その上、普段着も着物が多いあることから、ちろりやマダムの着物姿が映えるのも分かるような気がします。また別の作品に『PING PONG RUSH』とあるのを見て、「あの作者だったのか」と思い出しました。温泉卓球しか経験のない少年が、本物の卓球に惹かれ上達していく物語なのですが、作者は卓球どころか運動全般が苦手とのことで、かなりの苦労をされたようです。その意味では、作者の嗜好に合った、『ちろり』は長く続いて欲しいですね。
作品全般に漂う雰囲気も素敵ですが、登場する小物にも注目してください。カモメ亭は喫茶店なので、提供するのはカヒー(コーヒー)が多く、カヒー専用のカップがたくさん棚に並べられています。それは全て同じデザインではなく、シンプルなカップもあれば、幾何学模様のカップもあり、ざっくりと釉薬がかかったものや、タコ唐草模様の和風カップもあります。揃えたのはマダムなのでしょうね。お客さんによって、気分によって、異なるカップを使っています。またちろりやマダムは和装ですが、カモメ亭に訪れるお客さんには洋装が結構います。と言っても、現代のようにTシャツとチノパンではなく、男性なら三つ揃えのスーツに帽子姿、女性であればふんわりスカートのドレスです。これらの和洋折衷が『ちろり』の雰囲気を盛り上げています。
『ちろり』を読んでいて思い出すのが、マックガーデン社の『月刊コミックブレイド』で連載されていた『ARIA』です。コミックスもヒットしましたし、アニメやゲームにもなったので、覚えている人も多いかと思います。『ARIA』は、多少ミステリアスな部分はあったものの、最後までゆったりしたスタンスは維持されていました。明治時代は希望にあふれる時代でもありましたが、日本が世界に雄飛する中で、少なからず混乱の起きた時代でもあります。果たして『ちろり』は、どんな展開を迎えるのでしょうか。