“てんぱい”の言葉は知らなくても、“てんぱる”や“てんぱってる”くらいであれば、聞いたことのある人は多いのではないでしょうか。元々の“てんぱい”は、「麻雀の手で、もう一枚必要な牌が来ると、得点が貰える状態」を指す言葉です。その“てんぱい”が変化して、“てんぱる”や“てんぱってる”となりました。例えるなら、ジグソーパズルの最後の1ピース、長距離走のラストスパートと言ったところです。しかしそこで油断してはいけません。最後の1ピースをなくしてしまったり、最後の最後で追い抜かれて逆転されたりがあるように、麻雀でも他の人が上がってしまうことだってあるのです。そんなことから、“てんぱい”は良い意味でぎりぎりや目一杯の状態を指す言葉だったのが、今ではどちらかと言えば悪い意味で使われる方の多くなっています。「あの人、てんぱってるね」と言えば、何らかの大事を前に、余裕のない状態を示していることになります。
その麻雀用語の“てんぱい”に、意味ありげな漢字を当てはめたのが、この作品『麻雀飛竜伝説 天牌』(原作:来賀友志、作画:嶺岸信明)です。主人公の沖本瞬(おきもと しゅん)は、名門大学に通い、麻雀では仲間内でも有数の実力者でしたが、“麻雀職人”と呼ばれる黒沢と出会ったことから、一層麻雀にのめり込んでいきます。もちろん瞬の成長を描いた漫画なのですが、そこに登場する麻雀打ち達が、いずれもひと癖ふた癖あって、まさに勝負の世界をかもし出しています。そうした麻雀打ちに揉まれることで、瞬の感性や技術が磨かれていく様が分かります。更に瞬の生い立ちや、母親から受けた英才教育などが、チラッと明かされます。『そんなこともあるのか』と思わされるのですが、まだ瞬には何らかの秘密がありそうです。今後明かされることがあるのか楽しみな点でもあります。
麻雀の魅力に引き込まれた瞬は、大学から離れ、黒沢の弟子となって、厳しい勝負の世界に足を踏み入れていきます。法律では麻雀でお金をやりとりするのは、もちろん違法なのですが、そんなこととは桁違いの金額や、時には法外な条件、命までもが賭けられる麻雀が出てきます。また仲間だった者が敵になったかと思えば、敵対していた人間から大きな手助けを貰ったりと、目まぐるしく状況が変わります。それは金や利権などの生臭いものが原因でもありますし、男気のような感情が理由で、人を動かすこともあるようです。
そう、この作品には女性はほとんど出てきません。もちろん現代社会を舞台にしているだけに、皆無ではありません。しかし並み居る麻雀打ちは全て男ばかり、たまに出てくる女性は、脇のまた脇役くらいでしかありません。そんなところを聞くと、興味を無くしてしまうかもしれませんが、それを補って余りある男達の戦いが繰り広げられています。
原作者の来賀友志氏は、麻雀雑誌の編集者をしていたこともあり、この『麻雀飛竜伝説 天牌』に限らず、麻雀漫画の原作を数多く手がけています。作画の嶺岸信明氏とも何度もコンビを組んでいて、2人の天才麻雀打ち、新堂啓一と轟健三の戦いを描いた『あぶれもん』や、大物政治家の異母兄弟である佐山一輝と佐山誠、そして誠の友人の田岡慎が頂点(てっぺん)を目指す『てっぺん』などの名作を生み出しています。
麻雀の世界を描いた漫画作品の意味では同じなのですが、違うのはコミックスの巻数です。『あぶれもん』や『てっぺん』は、掲載が月刊誌だったことで、いずれも5巻程度で終わっています。しかしこの『麻雀飛竜伝説 天牌』の掲載誌は、日本文芸社の「週刊漫画ゴラク」です。そしてコミックスは、2月18日に62巻が発売されます。通常の週刊誌のコミックスでも、ここまで巻数が伸びている作品は、なかなかありません。それだけでも名作であることが分かると思います。『ゴルゴ13』や『こちら葛飾区亀有公園前派出所』程ではありませんが、このくらいの巻数となると、読むのに抵抗を感じる人もいそうです。しかし最初の1巻でも、また途中の1冊でも読んでもらえれば、その凄みが分かるはず。きっと作品のとりこになるでしょう。
漫画では、瞬や若手の成長と共に、彼らに影響を与えてきた凄腕の麻雀打ち達が、勝負に負けることで引退したり、しがらみから命を落としたりしていきます。世代交代と表現してしまえばそれまでなのですが、やはり寂しさは拭えません。彼らが居なくなることで生まれた空間を、瞬達が埋めることができるかが、現在の見どころになっています。直近の連載では、全国各地を旅しながら麻雀の腕を磨いていた瞬が、大阪で麻雀荘の権利争いから、はからずも旧知の影村や北岡と対戦することになります。まさに若い世代の対決が繰り広げられているところです。上の世代に匹敵する麻雀が打てているかどうか。ぜひ皆さんも確認してください。