東京藝術大学への交換留学、身体表現と写実絵画、そして受賞作〈仰望〉。E.SUN Art Awards 2022 受賞者が語る、知らない土地の象徴を自分の制作に引き寄せる方法。
台湾の玉山銀行、玉山金融控股公司、玉山文教基金会が主催する国際公募「E.SUN Art Awards 2026」では、世界各国のアーティストから作品を募集している。2026年のテーマは「玉山」と「音楽」。玉山国立公園の自然風景や文化的特色、あるいは音楽が持つ力を、絵画を通じて表現する作品が対象となる。
テーマの1つである「玉山」は日本のアーティストにとって必ずしも身近な存在ではない。
台湾最高峰の山を、実際に登ったことがない、見たことがない状態で描けるのだろうか。そんな不安を抱く人もいるかもしれない。
2022年に作品〈仰望〉で受賞した胡銜文さんも、制作当時、玉山に登った経験はなかった。それでも、子どもたちが玉山を見上げる姿に、未来への憧れや挑戦を重ね合わせ、受賞作を完成させた。
東京藝術大学への交換留学を経て、人物と風景、絵画と身体表現を結びつけながら制作を続ける胡さんに、応募のきっかけ、受賞作に込めた思い、そして日本の作家へのメッセージを聞いた。
目次
1. 絵画だけでなく、身体や映像からも表現を考える
2. 東京藝術大学で出会った、媒材を限定しない制作環境
3. 受賞作〈仰望〉に込めた「憧れ」と「挑戦」
4. 応募で一番大変だったのは制作時間の捻出
5. 受賞は、作品を見てもらう機会を広げる
6. 日本のアーティストへ ― 知らないテーマにも、自分の経験から入っていける
絵画だけでなく、身体や映像からも表現を考える
――まず、現在の制作活動について教えてください。現在は、風景と人物を組み合わせた写実絵画を中心に制作しています。もともと古典的な写実の表現に関心があり、人物を精密に描くことを続けてきました。ただ、私にとって風景も人物と同じくらい重要です。人物だけ、風景だけを主役にするのではなく、その両方が作品の中でどう関係し合うのかを考えています。
一方で、絵画だけを制作しているわけではありません。映像作品や、身体を使った表現にも関心があります。私はタップダンスもしているので、身体の動きやリズムが、絵画の中にどのように入ってくるのかということも考えてきました。
東京藝術大学で出会った、媒材を限定しない制作環境

東京藝術大学での作品展示の様子
――東京藝術大学への交換留学では、どのような経験がありましたか。
東京藝術大学では油画専攻の第五研究室に所属しました。油画という名前の研究室ではありますが、先生方は媒材を限定せず、それぞれの学生がもともと取り組んでいる制作を尊重してくださる環境でした。私も、自分がそれまで行ってきた絵画や映像、身体表現の延長線上で制作を深めることができました。
特に印象に残っているのは、日本の季節の変化です。台湾ではあまり見られないような、秋にイチョウの葉が一面に広がる風景がとても印象的でした。その黄色い葉の上でタップダンスをする身体の感覚を取り入れ、半抽象的な絵画作品として展開したこともあります。
――油画にとどまらず、身体表現も含めた活動に関心を持ってもらえたのですね。
はい。東京藝術大学で指導してくださった西村先生は、絵画だけでなく、空間や構造、コンセプチュアルな表現にも関心を持ってくださる先生でした。私がタップダンスをしていることや、それを絵画とどのように結びつけるのかという点にも興味を持ってくださいました。
留学前に作品集を提出していたので、大学側は私の制作の方向性をある程度知ってくださっていましたが、実際に東京に行って先生と話す中で、自分の制作をさらに広げていくきっかけを得られたと思います。
受賞作〈仰望〉に込めた「憧れ」と「挑戦」

胡銜文《仰望》(2022年、油彩・カンヴァス、91×72.5cm)
――E.SUN Art Awardsに応募したきっかけを教えてください。
2022年の応募は、学校の先輩から「こういう機会があるから挑戦してみたら」と紹介されたことがきっかけでした。当時、私は子どもを描くシリーズに取り組んでいました。その制作の流れの中で、子どもたちと玉山を組み合わせることは自然に考えられました。
――受賞作〈仰望〉では、少女が玉山を見上げるような構図が印象的です。
玉山はとても高い山で、子どもたちが実際に登るのは簡単ではありません。だからこそ、作品の中では少し想像の要素を入れました。少女が大きな山を見上げる姿には、未来にある大きな課題や挑戦を見つめるイメージがあります。
タイトルの〈仰望〉には、見上げること、憧れること、そして挑戦することへの思いを込めています。目の前に大きなものが現れたとき、それをどう乗り越えていくのか。子どもたちに向けた励ましでもあり、自分自身の制作にも重なるテーマでした。
――胡さん自身は、制作当時、玉山に登ったことはあったのでしょうか。
実は、私自身も玉山にはまだ登ったことがありませんでした。玉山の風景は、台湾で指導を受けていた先生が撮影した写真を参考にしました。その先生は玉山によく登っていて、たくさんの写真を撮影していました。
もちろん、いつか自分の身体で玉山を感じてみたいという思いはあります。ただ、登ったことがなくても、玉山は台湾人にとって精神的な象徴のような存在です。日本人にとっての富士山に近いかもしれません。実際に登った経験がなくても、誰もがその姿を想像できる。そういう存在だと思います。
応募で一番大変だったのは制作時間の捻出
――応募にあたって、作品ステートメントや提出資料の準備で難しかったことはありましたか。ステートメントを書くこと自体は、私にとってはそこまで難しいことではありませんでした。自分の中にある制作意図や考えを整理して言葉にしていく作業だったからです。
一番大変だったのは、作品制作そのものです。私は油彩で制作しているので、絵の具が乾くまでに時間がかかります。当時は応募まで約5カ月ほどの準備期間でしたが、人物を細密に描くだけでも時間がかかるうえに、玉山の風景や植物の細部も描き込む必要がありましたので、「5カ月しかない」という感覚でした。
――受賞作〈仰望〉は、どのように制作を進めていったのでしょうか。

《仰望》制作の様子
私の作品は、クラシックな写実の技法を取り入れており、「写真のようだ」と言われることも多くあります。その分、細部まで精密に描き込む必要があり、制作には非常に多くの時間と手間がかかります。
実は受賞作に登場する子どもには実際のモデルがいます。母の友人のお子さんに協力してもらい、登山をイメージした服装や帽子などを選び、たくさん写真を撮りました。その中からポーズや手の動き、服装の印象を組み合わせ、玉山の風景と重ね合わせながら、絵画として構成していきました。
人物だけでなく、玉山の風景や植物の細部まで描く必要があったため、作業量はとても多く、大変な制作でした。ただ、その分、完成したときの達成感も大きかったですね。
受賞が作品を見てもらう機会を広げるきっかけに

E.SUN Art Awards2022 受賞時の様子
――グランプリ受賞を知ったときのことを覚えていますか。
実は最初に自分で知ったわけではなく、学校の同級生から「名前が載っているよ」と教えてもらいました。自分でも携帯でウェブサイトを見ていたのですが、なかなか表示されず、本当に受賞したのかわからなかったんです(笑)。家に帰ってから改めて確認して、自分の名前を見たときは、夢のようでした。
最初に伝えたのは家族です。それから、玉山の写真を提供してくださった先生にも報告しました。モデルになってくれた子どもやそのご家族にも伝わりました。後に、受賞作品が掲載されたカレンダーも制作され、そのご家庭でも大切に飾ってくださっていると聞いています。
――受賞後、活動に変化はありましたか。
在学中だったこともあり、学校の中で多くの人が注目してくれるようになりました。賞金額が大きいこともあり、「どうやって準備したのか」「どのように応募したのか」と聞かれることも増えました。
ただ、私にとって一番大きかったのは、自分の制作の方向性を見つめ直すきっかけになったことです。私はもともと人物と風景を組み合わせて制作していました。つまり、玉山を描くためだけに無理に制作したのではなく、自分の制作の延長線上にテーマを引き寄せることができたのだと思います。人物と風景のどちらか一方を主役にするのではなく、両方を重要な存在として画面に置く。そのバランスや構図について、より深く考えるようになりました。
――賞金は、その後の活動にどのように生かされましたか。
賞金は、留学や制作活動のための資金として大きな助けになりました。東京藝術大学への交換留学では、滞在費や生活費など、現実的に多くの費用がかかります。アーティストが自分を成長させ、制作を続けるための資金を得られることは、とても大きな意味があると思います。
日本のアーティストへ――知らないテーマにも、自分の経験から入っていける
――日本のアーティストにとって、台湾発のアートアワードに応募する意味はどこにあると思いますか。国籍を問わずアーティストにとっては、「自分の作品を誰かに見てもらえる」という事そのものにとても大きな意義があるのではないでしょうか。
玉山は台湾の人にとっては日本人の富士山のように精神的な象徴ですが、海外のアーティストにとっては、全く知らない別の国の象徴を描くことになります。そのときは、写真や映像、ドキュメンタリーなどを見ながら、その場所がどのような意味を持つのかを理解していくことが大切だと思います。玉山であれば、山脈の形や高低差にリズムや秩序の美しさがある。そうした特徴を見つけ、自分の中で消化して表現することができると思います。
――「知らないから描けない」と考えなくてもいい、ということですね。
そう思います。たとえば自然や山をテーマにするなら、自分自身がこれまで見てきた風景や、山に対して感じてきたことから入ることもできます。今回は「音楽」というテーマもあります。音楽もまた、国や言語を越えて感情を伝えるものです。自分の経験とテーマを結びつける方法は、きっとあると思います。
応募の準備をしていると、もちろん「なんとか受賞したい」という気持ちが大きくなると思います。でも改めて当時を振り返ってみると、結果だけでなく、それまで自分が挑戦してこなかったテーマに向き合う過程そのものに意味があったと感じられました。新しいテーマに取り組むことは、自分の制作を別の角度から見つめ直す機会になります。日本の作家の皆さんにも、ぜひ挑戦してほしいです。

胡銜文(Justin Hu)プロフィール

Instagram:@justinhu_art
台湾を拠点に活動するアーティスト。国立台湾師範大学美術学系西洋画組および同大学大学院絵画組で学び、東京藝術大学油画専攻に交換留学。写実表現を軸に、時間や記憶、日常の感覚をテーマとした作品を制作している。
2025年「TIME SLICING 時間切片」、2023年「SENSE OF TIME 時間の感覚」など、台北を中心に個展を多数開催。2022年には「画家が描く玉山」社会組首賞を受賞したほか、大墩美展水彩部門銀賞、全国美術展油画部門銀賞、中山青年芸術賞首賞、台湾銀行芸術季青年絵画賞第1位など、受賞歴多数。作品は玉山銀行、国父紀念館、台湾銀行、奇美博物館などに収蔵されている。
※最新の活動内容はInstagramでご確認いただけます。
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