安田章大【ヘアメーク:山﨑陽子/スタイリスト:DOREMI】 (C)エンタメOVO

 1990年に公開されたパトリス・ルコント監督の代表作『髪結いの亭主』が、安田章大主演で初めて舞台化される。原作となる映画は、一人の男の純粋で偏愛的な恋心を描いたフランス映画の傑作。今回の舞台化では、原作映画を大胆にアレンジし、物語を1950年代の茨城県にある小さな理容室へと移して描かれる。脚本・演出を劇団普通の主宰で、第33回読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞した石黒麻衣が務める。安田に本作への思いを聞いた。


-1990年公開の映画を今、舞台化するという話を聞いて、どのように感じましたか。


 もちろん映画は知っていましたが、それよりも先に、(演出の石黒が主宰する)劇団普通さんの舞台が好きで、見に行っていたんです。それで、公演が終わった後に、お話をさせてもらって。「ありがとうございました」とごあいさつしたら、「なぜ来てくださったんですか」「いや、興味があって」と。そこで関係性ができたというのが最初でした。この作品の舞台化を企画された方が、脚本と演出を石黒さんに依頼されて、そこで僕の名前があがったという流れのようです。俳優さんはたくさんいらっしゃるのに、僕でいいのかなと思いながらも、「やるべきだ」と自分の中でたどり着きました。2年くらい前の話だったのかなと思います。


-台本を読んだ印象は?


 演劇は映画と違って、カットで時空を飛ばせないので、照明やセット、人間の配置で表現していくのが面白いところだと思うのですが、この台本では、そうした舞台ならではの時空の飛ばし方がうまく使われているので、きっと面白い作品になるんだろうという印象がありました。それと同時に、原作ファンの方が多い作品だと思うので、そうした方々の期待を裏切らない作り方も意識されているのだろうなとも思いました。原作をご存じの方は、理容室を訪れる客があらゆることを話し合っている意味合いをより深く掘っていると感じられるのではないかと思います。映画公開からすでに36年たっていますが、36年たってしまったが故に、人間たちの退廃感がより響くのではないかと感じます。


-原作の映画はいつ頃にご覧になったのですか。


 いつ見たんやろう…公開当時は、僕は6歳なんで見てないんですよ(笑)。でも、大人になってフランス映画が好きで見ていたので、そうした一連の流れで出会った作品なんだと思います。10代の頃は、「フランス映画、最高」とは言えてなかったと思うんですよ。アクションや、分かりやすく物語に起伏があるものを見ていましたが、20歳を超えて、人生模様や生と死、愛おしさというものを描いた作品にも出会うようになったのだと思います。


-フランス映画は、アメリカ映画などのカラッとした感覚とはまた違う空気感がありますね。


 湿度がありますよね。でも、人は湿度を持っているものだと思いますし、それを隠そうとする生き物だと思います。その湿度が個性的であればあるほど、恥ずかしいと感じる生き物だろうし、羞恥心ともリンクしている。フランス映画はそれを描いているからこそ面白いなと。それから、フランス映画の中では、ポエムを描くというシーンもありますが、そうした独自の発言方法で表現するというのもフランス映画的な届け方なのだと思います。この作品もそうした湿度があるので、自分の性格にも合っていたのかもしれませんね。


-確かに、安田さんらしい作品でもあるように思います。


 生々しさがきちんと伝わるのが面白さだと思います。でも、その生々しさが苦手な人にしてみれば、見透かされているように感じるから逃げたくなったり、触れたくなったりするのかなとも思います。それから、生死に触れているというのも特徴的かもしれません。そうしたところも含めて好きなので、そう(安田らしい作品だと)思われるのかなと思います。


-1950年代の茨城の空気感をどのように作っていきたいと今の段階では考えていますか。


 1950年代の茨城という土地柄と人情さは知っておきたいです。僕は、時代は人に影響するものがあると思っています。世の中の体制を抜きにして、地域性と人間関係は語れませんから。なので、まずは、茨城の方々の人間性を探っていきたいと思います。デーブ大久保さんから、茨城県の中でも、大洗とひたちなかでは違うし、東京に近づくとまた違うという話を聞いているんですよ(笑)。なので、茨城のどこを舞台にしているのかも知りたいです。それから、もちろん50年代の人々についてもサーチしたいですね。せっかく50年代と打ち出しているのであれば、50年代の人たちの話し方や温度感は投影したい。ただ、台本を読む限り、50年代の方々の茨城弁ではない気もするんです。本来は、もっと(方言が)強いのではないかと思います。茨城の中でも東寄りなのか、西寄りなのか、南寄りなのか。そうした地元に寄った言葉を使われているので、石黒さんとすり合わせをしたいと思っています。


-原作は、舞台向きの作品でもあると思いますが、そうした点について、安田さんはどう考えていますか。


 言語にしなくてもいい感情がたくさん散らばっている。それから、言語にできないから言語にしないという感情は、映像から放たれるものよりも、体から放たれるものの方がはるかに届けられるので、とても香ばしいものになるだろうし、泥臭いものになると思います。そうした芳しい匂いの方が人間性が出てくるので、演劇に向いているのかなと思います。この作品は、フランスで演劇化される話が持ち上がったらしいですが、それが頓挫して今に至っているので、もしかしたら、日本語公演として海外に持っていくのも良いのではないかと、僕個人としては思います。日本なりの解釈をして、劇団普通さんによる日本の普通を提示するというのは、世界に対するアンチテーゼになるのではないかなと。この『髪結いの亭主』を演劇として上演できることが素晴らしいことだなと感じています。


-安田さんは、生死というものに対して、そして「終わり」を描いている台本の構成に対して、どんな印象を持っていますか。


 僕が勝手に思っていることですが、映画の印象があり、台本を読んで、石黒さんが僕とやってみたいと思ってくださった理由の中に、自分の2回死にかけたという経験が投影されているのではないかと読み解きました。人というものは、死にかけるときもあれば、すぐに死んでしまうときもある。はたまた、肉体ではなく心が死んで、しなり、節ができ、そして生き返り、また凹み、落ち込み、またしなり、節ができ…ということを繰り返す、心の生死もある。そういう意味で考えると、僕自身が経験してきたことが、石黒さんの着想の中に1つあったのか。なかったのだとしたら、石黒さんと僕がリンクした理由は、そうした価値観や理論、倫理がシンクロしたからなのかなと思っています。


-安田さんにとって、死を意識したことは、人生観に大きな影響を与えましたか。


 大きかったです。しっかり凹み、しっかり泣き、しっかり怒り、そして今が一番楽しいという気持ちにつながっています。例えば、生の花と造花はどちらが良いのかという話で、どちらにも生命が宿っていると考える人もいれば、造花を作った人がいるのだから造花に宿っていると考える人もいる。生花を真似て作ったものが造花だから、造花自身が感情を持っていれば生花を真似ることができるので、造花が生きているともとれる。でも、生花は枯れていくのだから、人として考えれば死んでいく。造花は生き続ける。造花は誰かが生まなければ生まれないとか。そうした理論を生死とつなげることができるので、この作品には石黒さんが普段から持っていることも入っているだろうし、僕が感じることもあるだろうと思います。


(取材・文・写真/嶋田真己)


 PARCO PRODUCE 2026「髪結いの亭主」は、9月28日(月)~10月25日(日)に都内・新国立劇場 小劇場ほか、広島、大阪で上演。