平凡な吹奏楽部が“全国大会”を目指す物語
物語は、平凡な部活動から新顧問とともに「全国大会出場」を目指していくわけだが、これで思い出されるのは、かつて神奈川にあった伝説の名門校・県立野庭高校である。
ごく普通の公立校の弱小吹奏楽部は、オーケストラ奏者だった故・中澤忠雄先生の指導着任後、わずか半年で関東大会出場。翌年には全国屈指の超難関・関東大会を突破し、全国大会初出場&金賞受賞という快挙を成し遂げる。難易度の高い楽曲、オーケストラなサウンドが持てはやされた80年代のコンクール事情において、「これぞ吹奏楽」という流麗で繊細なサウンドを響かせ、その名を轟かせた。
演奏のみならず、演奏直後に一斉に素早く立ち上がる姿、入退場の凛とした立ち振る舞いに至るまで見る者を魅了する。筆者は同じ神奈川ということもあり、縁あって野庭高との合同練習を何度か見学・体験したことがある。そこで見たものは、想像を絶する過酷な練習とその積み重ねによって作られた、常人ならぬ合奏能力と完全なる統制の取れた吹奏楽部だった。何よりも先生と部員たちの熱く厚い絆は、多くの指導者や生徒が憧れ、目指す、理想の吹奏楽部の姿でもあるだろう。
筋トレ、ランニングは当たり前…
筆者の母校は、有名校とまでは行かなかったが、中学は吹奏楽コンクールで数回の全国大会出場、高校は全国大会手前の“ダメ金”校だった。特に高校時代の練習や規律の厳しさは強豪校と変わらなかった。
始発電車で登校して朝練、授業の合間に昼食を済ませ、昼休みは昼練。授業が終わり、放課後はすぐさま体操着(ジャージ)に着替えて音楽室に向かう。机を廊下に出して、椅子と譜面台の設置、合奏形態への準備。これは新入生(1年生)の仕事。それが終われば体力トレーニング。外周ランニング、腹筋、背筋、腹式呼吸の練習など…。
その後はみんなで足踏みしたり、手を叩いたり、掛け声をあげたり、消防団や自衛隊さながらの規律訓練である。マーチングの練習というわけではない、意志の疎通を身体で表現するための練習である。それが終わると合唱練習、そして、ようやく楽器を持った練習に入る。
音楽室以外の通常の教室や廊下、階段、踊り場、屋上まで… 校内の至るところを パート練習などで使用していた。いや、使用させてもらったのだ。だから、借りた場所は借りる前より美しく返すのが鉄則。練習後の整理整頓や掃除も徹底する。常に清い心で音楽に臨む、それは学校内問わず、地元の街のゴミ拾いにまで及んだりもした。