こぶとりじいさんをチャートにしてみる
最後にこぶとりじいさんのコスパを調べてみましょう。
民話研究においてこぶとりじいさんは『隣のジジイ型民話』と分類されています(本当)。
これは何か得をした主人公の近隣の者(主に意地悪なジジイ)が手法を真似して手痛く失敗するパターンを総称した言葉です。『おむすびころりん』や『金の斧』もこれですね。
ベン図で示すと意地悪ジジイはこの左斜線部になります。
すみません、ベン図使いたかっただけです。
『こぶとりじいさん』は登場人物がジジイと鬼のみという濃いラインナップのためかあまり語られませんが、コスパ面ではどうでしょうか。
図を作ってみましょう。
できました。なんだこりゃ。
この話はダブル主人公の体を成しているので、主体を2つに分けてみました。想定されているエンディングは6つ。
まずは正直ジジイ視点から。
最初は、夜中に出かけない「夜遊びなんて不良のやることエンド」。
何も起きないので、これはおもしろくないですね。
さて、出かけると正直ジジイは鬼たちの宴会に出くわし、余興でダンスを踊らされます。『凶悪』っぽい。原作では正直ジジイが見事なダンスを見せて盛り上げるため、ヘタだったらどうなるかは分からないのですが、他の展開から推測すると帰らされるだけと思われます。
なのでダンスがヘタだった場合のエンディング2は『夜の敗北者エンド』。まあちょっと悔しいくらいなのでコスパ的には大した痛手はないでしょう。
ナイスなダンスを踊った正直ジジイは鬼に気に入られ、明日の宴会にも来るように命令されます。担保として、強引にコブを取られてしまいます。
さて、この顛末を隣の意地悪ジジイに話さなければ話は穏便に終わります。これが「ほんとの私デビューエンド」です。
ですが、物語で正直ジジイは顛末を話し、主人公は意地悪ジジイに移行します。
正直ジジイの話を聞いたにもかかわらず出かけなかった場合「あんな奴の指図なんか受けられるかエンド」になります。正直ジジイだけが得をし、意地悪ジジイは現状維持です。
うらやましさから夜中に出かけてしまった場合。鬼の宴会に出くわした意地悪ジジイは、昨日のジジイと勘違いされてダンスを踊らされます。
物語では意地悪ジジイは上手く踊れず、興ざめした鬼に「コブ返すから帰れ」と強引に正直ジジイのコブをくっつけられてしまいます。これがトゥルーエンド『ダブルコブ悲惨ジジイエンド』です。
意地悪ジジイ側からするとあまりにも悲しいので、意地悪ジジイもダンスを上手く踊れたとしましょう。その場合はどうなるでしょうか。
おそらく、鬼たちは大盛り上がりして満足するでしょう。ということは、担保に奪っていたコブを返してくれるということです。そう。結局同じ結末なのです。
もしくは、また明日も来いと命令するか、仲間にして連れて行ってしまうかもしれません。なんにせよ、鬼には意地悪ジジイのコブを取ってやる理由はありません。何をしても意地悪ジジイはコブ付きっぱなしなのです。
これがもう一つのトゥルーエンド『裏ダブルコブ悲惨ジジイエンド』です。
コブを付けられる奴は不運<ハードラック>と踊<ダンス>っちまったんだよ……。
エンドパターンごとに最終コブ数をまとめるとこのようになります。
コブは少ないほどいいので、正直ジジイは「ほんとの私デビューエンド」を、意地悪ジジイは「あんな奴の指図なんか受けられるかエンド」を選べばコスパがいいことになりますね。
ですが正直ジジイ視点で考えてみましょう。
自分のコブを取ってもらった時点で、自分自身のコブは無くなって満足です。
それでは、なぜ正直ジジイは意地悪ジジイにその顛末をわざわざ焚きつけるような形で話したのでしょうか?
正直だから? それなら、意地悪ジジイが鬼のところに行ったらどうなるか、きちんと話すべきだったのでは?
意地悪ジジイが代理で向かうとどうなるか、正直ジジイには予想がついたはずです。
正直ジジイは、「言わない」というある種の嘘をついているのです。
もしかすると、隣人の不幸こそが正直ジジイにとって何よりの「利益」、費用対効果でいうところの「効果」だったのではないでしょうか。
なぜなら“正直“と“意地悪“は両立するのだから……。
こぶとりじいさんこそ、コスパ追求のためなら他人さえ犠牲にできる現代社会に鳴らせる、唯一の警鐘なのかもしれない……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………