「劇団八雲」という裏設定
――それにしても、劇中のみなさんはすごく仲がよさそうでしたね。
実際、みんな仲がよかったですよ。
――あの関係は自然に出来上がったんですか?
まあ、なんせ洋さんがいるんでね、いい感じでまとめてもらいましたよね。
あと、裏話を言うと、僕と高橋努と岡田将生、ちょっと遅れて石崎ひゅーいが現地入りしたんですけど、僕らはせたな町から車で1時間ぐらい離れたところに宿をとってもらっていたんですよ。
洋さんは主演だし、朝から動いたりすることが多かったり、いろいろな都合で撮影現場に近いところに宿をとっていて、そこにいたんですけど、我々は酒飲みなので、プロデューサーの人たちがそこを配慮して、近隣に飲み屋がある1時間ぐらい離れた八雲という町のホテルにしてくれたんです。
なので、僕らは朝4時起きで現場に5時入りみたいな状態だったんですけど、現地に着いてメイクをして衣裳を着ると、もうやることがないから、朝飯を食べながら「洋さんが入ってくるまで時間があるし、台本の読み合わせでもする?」と言って本気半分、冗談半分みたいな感じで読み合わせをしていたんですよ。
そしたら、後から来た洋さんに「この人たちは遠く離れたところからやってきて、朝から熱心に稽古をしているよ。まるで劇団だね」っていじられて(笑)。
それから僕ら4人には、滞在していた土地の名前をとった「劇団八雲」という裏設定が設けられて、洋さんには「八雲さんの結束力は強いな~」って言われたり、いつの間にか座長キャラになった僕が「おい、稽古するぞ! 」とか「ダメだ、努。もう1回! そこのセリフ、絶対に噛んだらダメだろう」「もっと想いを込めて!」みたいなことを言うミニコントをやりながら、みんなでゲラゲラ笑っている時間がしばらく続いて、そこで連帯感みたいなものが生まれたんです。
――それがけっこう役に反映されていたわけですね。
反映されていたんじゃないですかね。僕は仕事の都合でしょっちゅう東京とせたなを行き来していたんですけど、ひゅーいと努と将生はほとんど向こうにいましたしね。
彼らなんか、僕が退屈を紛らわすために持って行った「ニムト」というカードゲームも空いた時間にずっとやっていて、そこでも洋さんから「八雲さんはみんなでカードゲームをするぐらい仲がいいんだね」みたいなことを言われていたけど、チームワークみたいなものはそうやって自然にできていきました。
――今回の映画では、撮影の合間の雑談しているみなさんの映像も使われているそうですね。
そうですね。深川栄洋監督がそういう撮り方をしていましたね。
僕らも特に打ち合わせをして、そういう風になったわけではないですけど、この映画は仲間の話でもあるし、ノリと言うか、自然にそうなったかな。
それこそ、キャスティングをした時点であの関係性になることは決まっていたのかもしれない。
僕も別に無理なく、役に近いポジションのことをこのチームの中でやっていたような気もしますからね。
特に印象に残っている撮影は?
――特に印象に残っている撮影は?
一個は踊るシーンかな。UFOを呼ぶために踊るあのシーンはけっこう熱心に練習したんですけど、大胆にカットされていました(笑)。
――そうなんですね。わりといっぱい使われていると思ったんですけど(笑)。
もっと撮っていたはずなんですよ。
それに、海辺で踊っているシーンがあったと思うんですけど、あれは最初、あの海辺で撮る予定じゃなくて。太陽が海に沈んでいく夕景のちょうどいい画になったので、急にその前で踊って欲しいという話になったんですけど、僕らが肉眼で見る世界はもうほとんど闇でしたし、風が凄くて。
しかも、ふかふかの砂浜だったから、将生やひゅーいはともかく、洋さんにしても僕にしても砂浜に足をとられやすい脆弱な下半身状態なので、ものすごく大変だったんです(笑)。なのに、太陽が沈んでしまう前にすごい勢いで撮って「OK」って言うから、絶対にこんなの使わないわと思って。暗いし、全然OKじゃなかったですもん(笑)。
でも、完成した映画を観たら、意外とカッコいい幻想的なシーンになっていましたね。
――マキタさんのシーンでは、甲介が亡くなった亘理のチーズ職人の師匠である大谷さん(小日向文世)のことを語るシーンと最後のレストランでの挨拶のシーンがめちゃくちゃカッコいいなと思いました。
最後の挨拶は、あのセリフですから、おいしかったですね(笑)。
大谷さんのことを語るところは、すごく広大な大地で、わりと引きの画で洋さんとふたりきりみたいな状態で撮ってもらったんですけど、あそこは大谷さんの死で意気消沈し、自信を失ったままチーズ作りをやめようとする亘理を甲介が「話がある」と言って連れ出して、冷え冷えとした関係の中でやるお芝居でしたから、あの寂しい寒々としたロケ―ションョンはよかったですね。
実際にセンチメンタルな気持ちになれましたから。