マキタスポーツの開拓精神

――あのシーンでは、甲介の大谷さんに対する想いや感謝の気持ちも伝わってきます。

僕も50年近く生きているので、人並みに、世話になった人に恩を感じることもありますし、大谷さんが自分の土地を甲介に分けてくれたことがどれだけのことなのかもキャッチできたような気がします。

僕ね、「北の国から」も大好きなんですけど、「北の国から」にも北海道を開拓しながら生きて来た一代目、二代目ぐらいの人たちの物語の回があって、北海道の土地を開拓したり開墾し、土地を開いて、そこで何かを生産して生計を立てていくことがどれだけ大変なことなのかっていうことが描かれていたんですよね。

僕も生きていく上での例えとして、自分で芸能の世界で道を切り拓いて、土地を切り拓いて、そこに家を建ててというイメージで持って、それなりの開拓精神で“マキタスポーツ”というジャンルを邁進しているつもりですけど、彼らが相手にしているのは実際にすごくデカい北海道という大自然ですから、そんなレベルじゃなくて。

そこで開いた土地、そこで生み出していくものがどれだけ尊いものなのかということを考えれば、「オマエに俺の土地をやるよ」と言った大谷さんの言葉がどれだけのものなのかも分かります。

ましてや東京で挫折して、人生をもう一度やり直そうという時ですからね。甲介のモデルの冨樫さんがどれだけ人の情や優しさを感じたのか、どれほどありがたかったか。そんな彼の気持ちに感じ入りながら演じていたような気がします。

――大泉さんとの距離感も絶妙でした。

僕、その撮影を終えてまたすぐ東京に帰らなきゃいけなかったんですよ(笑)。しかも、その日はあのシーンの撮影だけだったんですけど、朝、現場に入った時に洋さんとふたりきりになることができて。

いつもはみんながいるから、なかなかふたりだけになることはなかったんですけど、あそこはふたりっきりのシーンだったので、カメラが回る前に洋さんから「マキタさんは、どんなことをやってきて、いま、ここにいるの?」みたいな話をしてもらって。

それで僕も自分がやってきたことを話したんですけど、そうですね、洋さんにもそういう気分を作ってもらったのかもしれないです。

マキタスポーツがいまの仕事をやることになったきっかけ

――まさにそのあたりのこともお聞きしたいと思っていました。この映画でマキタさんが演じられた甲介さんも、モデルになった人と同じようにアトピーになったことなどがきっかけで、身体にいい大豆などを作る農作業を始めましたが、マキタさんがいまの仕事をやるきっかけになった出会いや大きな出来事は何ですか?

僕の場合、いちばん大きかったのは家族だと思いますけどね。妻と出会ったことはけっこう大きかったです。

――支えになるのはやっぱり家族ですものね。

支えと言うか、猛威と言うか、脅威と言うか(笑)。

妻は自分とは全然違う人間ですからね。その人と一緒になって作っていく家族は、言ってみれば、いちばん小さい社会じゃないですか。

僕は社会から完全にドロップアウトしているわけではないですけど、若いころは社会の構成員であるという気分はあまりなかったんですよね。

はぐれ者気分みたいな時代も長かったし、そういう感じが自分でもいいと思っていたんですけど、妻と出会ったことでようやく人に対する思いやりや社会に対する貢献みたいなものを否が応でも学ばなければいけなくなった。

それぐらい、妻の存在はきっかけとしては大きかったかなと思いますね。

――仕事に関してはいかがですか? 芸人やミュージシャンの仕事だけではなく、最近は役者のお仕事も増えてきていると思いますが、それは望んでそうなってきていることですか?

『そらのレストラン』1月25日公開 ©2018「そらのレストラン」製作委員会

いや、あんまり望んだつもりはないですね。僕は自分で作ったネタや曲で自作自演的にライブをやる、そういうパフォーマーだと思っていたので、役が決まっている俳優の仕事は僕のメンタルからはいちばんかけ離れたものだと思っていましたね。

ただ、縁があって、声をかけていただいて、やってみたら意外に面白かったんです。

――その演じることが面白いと思われた作品は?

『苦役列車』(12/監督:山下敦弘)という映画でしたね。あの作品で間違って賞をもらっちゃって、調子に乗ったのもあるんですけど(笑)。

ただ、その時はまだ実感が乏しくて。突っ張った言い方になっちゃうけれど、別に欲しくてもらった賞でもないと言うか、いただいたこと自体は嬉しいんですけど、やった感じがしなかったと言うか。

よく分かってないまま仕事をして、終えてみたら高評価につき賞をいただいたみたいなことだったので、自分の中でふわふわとしていて実感がなかったんですよ。その初々しい感じよくて、賞をいただくことになったんでしょうね。

いまは喉から手が出るほど賞が欲しいんですけど(笑)、そうなったら無理じゃないですか。たぶん一回こっきりのものを、あの時に使っちゃったような気がするんです。

最近は欲も出てきましたし、役を演じるのがしんどかったり、面倒臭いって思うこともあるんですよ。だって、自分じゃないものになるってことですから。

とはいえ、結果、意外と向いていたのかな~なんてことも思ったりしています。

人生をより楽しむために大切にしていること

――そんなマキタさんにお聞きします。『そらのレストラン』が描くのは人の人生……仕事の見極め方、生き方の話でもあると思うんですけど、マキタさんが人生をより楽しむために大切にしていることは何ですか? 人生を楽しむためのコツや秘訣みたいなものをお持ちでしたら教えてください。

そうですね。僕もいい年齢になってきているので、つまんないことを言いますけど、健康じゃないですか(笑)。

健康で健やかであることが、やっぱりいちばんご機嫌に暮らすことの条件じゃないですかね。僕は酒を飲むし、めしを食うことも好きなんですけど、めしが美味しく感じられなくなることが稀にあるんですよ。

あと、酒がうまく入っていかない、飲んでもあまり美味しくない時があるんですけど、それではダメだと思うんですよ。そういう時は、絶対に身体が弱っているはずですから

――そんな時はどうされるんですか?

僕がしているのは、空腹にすることと身体を動かすことぐらいです。

よい空腹の時によい食事ができるし、よい排泄があると思うんです。

それはインプットとアウトプットの循環がいいということですけど、そのためにはたぶん間に運動があった方がいいはずなんです。

そんな風に健康だと、人にも優しくできるし、ご機嫌なところで人と繋がる縁の方が、不機嫌なときの出会いよりも全然いいと思うんですよね。

映画を観ても音楽を聴いても、ほかのカルチャーに触れても、健康な方が楽しいと思いますよ。不健康な状態で観ても楽しめるわけがない。

いまの時代って簡単に悪口を発信できるじゃないですか。「面白くなかった」って、斬って捨てられるじゃないですか。

僕はそういう人には「オマエ、お腹が空いてないからだよ」って言いますね。

健康じゃないからだと思うんですよ。健康的な方がたぶんいいと思うので、そういう状態を作ってください。「いい物を食べて、いいウンコをしてください」って言いたいですね(笑)。

――ちなみに、今回の現場でいちばん美味しかったものは何ですか?

いちばん美味しかったのはイカスミパスタかな。

パスタの麵にイカスミが練り込んであるんです。いや、僕はみんなが絶品だったって言うチーズフォンデュは食べられなかったんですよ。洋さんは食べたみたいですけどね。

撮影現場のこと、共演者のこと、お芝居に込めた想いから自分の生き方まで、独自の語り口でたっぷり話してくれたマキタスポーツさん。

その人間臭い物腰とトークに触れただけで、なんだか心が温かくなって、自分も健康に気をつけて、ご機嫌な生き方をしていきたいなと思えてきます。

映画『そらのレストラン』でも、そんなマキタスポーツさんの温もりを感じます。映画館で観て、ほっこりしてください。

 

映画ライター。独自の輝きを放つ新進の女優と新しい才能を発見することに至福の喜びを感じている。キネマ旬報、日本映画magazine、T.東京ウォーカーなどで執筆。休みの日は温泉(特に秘湯)や銭湯、安くて美味しいレストラン、酒場を求めて旅に出ることが多い。店主やシェフと話すのも最近は楽しみ。