誰かが与えてくれる大義を待っていたら何もできない。
 そういうことがある。

 2011年3月11日、東日本を襲った未曾有の大震災により福島第1原発であってはならない事故が起きた。そのため半径20km圏内の地域に避難勧告が行われ、約27,000世帯、78,000人が緊急避難を強いられた。だが、まさかそれで住み慣れた家に戻れなくなるとは、住民の多くが気付いていなかっただろう。中には取り返しのつかない存在を後に残してきてしまった人たちもいた。家族ともいえるペット、大事な家畜たちである。

 作家の森絵都は、大震災の発生直後からこの問題について関心を抱き、胸を痛めていた。後にのこされた動物たちの保護をどうするのか。水は、食料はどうなっているのか。以前に動物保護問題を扱ったノンフィクションを手がけたことがあり(『君と一緒に生きよう』)、そのテーマについてはまた書かなければならなくなると感じていた。そのときが突然訪れたのだ。

 取材のいとぐちを探していた森は、ネット検索でボランティア活動を続けているある人物の存在を知る。福井県在住の中山ありこである。震災後、中山は2度にわたって福島に入り、ペットレスキューの活動を行っていたのだ。彼女のブログには、残された動物たちの悲惨な状況が克明に綴られていた。鎖につながれた犬や室内飼いの猫の多くはすでに餓死していること、その他さまざまな目を覆いたくなるような事実の数々が。

 2011年5月末、三度福島に入るという中山に森は同行取材を申し入れ、快諾される。すでに4月20日には20km圏内に立ち入り制限が行われ、22日には法的な禁止根拠のある「警戒区域」にも指定されていた。当然その外での活動になるだろうと考えて取材参加した森に、中山はあっさりと禁を破って20km圏内に入ることを宣言する。悩んだあげく、森もその後を追った。この体験をどのように文章化すべきかと考えながら。

 『おいで、一緒に行こう』は、こうして始まった森のペットレスキュー同行取材記をまとめたノンフィクションだ。仮にも法で禁止されている行為に同行し、それを記録していることへの葛藤は森の中に間違いなくあっただろう。公にするに当たっては事実関係をぼやかして発表する手もあった。しかし森が選んだ道はすべてをありのままに書くことだった。

 ――なぜありのままでなければならないのか。(中略)事実を扱うノンフィクションにおいて、書き手が最後に拠って立てるのは、結局のところ、自分自身のフェアネスだけだ。瞳に移ったすべてをよりわけることなく、正も負も等しく書き表す。その真っ平らな足場がなかったら、不特定多数の読み手を前に自分で自分を支えられない。