しかしそうした覚悟にたどりつくまで森は揺れ続けた。それは中山をはじめとするボランティアの参加者たちも同様である。初対面の森に中山はこう言っている――「自分たちのしていることが正しいとは思ってません。正しいのか正しくないのはわからないです」。正しいか正しくないかではなく、そこに消えていく命がある。だから動くしかないのだ。中山に、森は随行し続ける。両者の存在は同じ不安定な基盤の上に成り立っている。
おそらくは全体の万分の一の体験だろうが、いくつかの救助の模様が描かれている。中でも無事に元の飼い主に会うことができたカイという犬のエピソードは感動的だ。何度も自宅まで餌やりに戻り、そのたびに飼い主を慕って追いすがるカイを振り切って置いてきたという女性は、カイと出会って終わることのない嗚咽を漏らし続けた。その模様を見て森は静かに感動を覚えるが、それで終わることではないと思いなおす。
――よかったことをどれだけ数えあげても、根底にある悲しみが深すぎて、どうしても気持ちが陰へ落ちていく。
よくない。こんなことがあっていいわけないんだ。
中山ありこと行動をともにしたボランティアの1人に、写真家の太田康介がいる。太田は福島第一原発20km圏内の現状を写真集『のこされた動物たち』を発表することで明らかにした(続編『待ちつづける動物たち』)。太田の写真のいくつかは本書にも使われている。そこに映し出された状況は凄惨なものだが、決して目を背けてはならない真実である。
その太田の書で抗議の声が上げられており、『おいで、一緒に行こう』でも重ねて綴られている事実がある。原子力災害対策特別措置法によって動物愛護ボランティアはもとより、住民ですら明確な理由なしの一時帰宅は困難になった。加えて警戒区域からの動物連れ出しは厳しく制限されており、他の理由を口にしなければ通行許可証を手にすることもできないのだ。心ならずも嘘を重ねて圏内に入ったボランティアの1人は言う。
「レスキュー自体はどうってことないんです。あちこち動きまわって、それで疲れるとかは全然ない。けど、今、警察に会ったらどんな嘘つこうとか、なんて言って切りぬけようかとか、もう一日中ずっと嘘ばっかり考えてて、それがすごく疲れる。もうほんとにね、嘘だらけですわ、私たち」
大義を待たずに行動を起こした人々が、事故から1年以上が経過してもなんの助力を得られないために疲弊しつつある。もし自治体から協力を要請されれば、今よりもうまく動物たちを助けられる方法はあるのに。そうした思いを持ちながら、彼らは今日も黙々と活動を続けている。