そんな父子の戦いに負けない魅力が、男子にとって永遠のテーマ“最強の格闘技とは何か?”である。作中では空手、ボクシング、柔術、中国拳法、ムエタイに喧嘩殺法、軍隊格闘術まで多彩な格闘技が登場してくる。いくつか架空のものもあるが、ほとんどは実在している格闘技ばかり。作者自身がボクシングで国体出場、少林寺拳法有段者、しかも自衛隊の空挺団出身という超異色な経歴をもつだけあって、ことリアルな戦いに関する知識と経験はそこらへんの漫画家の比ではない。
そんな作者の魂がこもった個性派グラップラー(格闘家)たちが自分の奥義を出し尽くし、目突き・金的なんでもアリという極限の戦場でバトルを繰り広げるのだ。中には決して現実の場では他流試合を見せない、古流柔術や少林寺拳法の異種格闘技戦もある。これで燃えないはずがない。血が飛び散り筋肉がきしむ独特の画風、ハッタリの効いたセリフまわしも手伝って、そのバトル描写はいまだに漫画界の最高峰だと言ってもいい。
父子の戦いを縦糸に、さまざまな格闘技のドリームマッチを横糸に、『刃牙』シリーズの物語は紡がれてきた。
■『刃牙』の画期的なアイデア “天井理論”
バトル描写だけでも歴史に残るほどすばらしい作品だが、もうひとつ個人的に外せない『刃牙』シリーズの功績は、格闘漫画に付き物の「インフレ」をうまく抑制したことだ。
『ドラゴンボール』がまさに典型例だが、少年バトル漫画は連載が長期化すると敵味方とも際限なく強くなってしまう。この手の作品は、強敵出現→苦戦→修行→強敵を倒す→新たな強敵の出現……が定番のサイクルだからだ。結果としてストーリーが単調になったり、序盤から出てきたライバルキャラが相対的にザコ扱いとなってしまう弊害を生む(いわゆる“ヤムチャ化”)。
ここで『刃牙』の巧いところは、序盤から絶対無敵の最強キャラ・範馬勇次郎を登場させたことだ。どんなに刃牙が成長しようと、また新たな強敵に出会おうと、常に彼らの上には勇次郎という強さの最高峰――つまり“天井”がある。これにより、少なくとも全キャラクターが強くなりすぎるという、極端なパワーインフレは回避できるのだ。
その副産物として、『刃牙』シリーズのキャラは敗北しても魅力を失いにくいというメリットもある。花山薫、愚地独歩、渋川剛気といった作中屈指の人気キャラは、実はけっこう戦いに負けている。にも関わらず彼らの人気が落ちたかといえば、決してそうではない。
・勇次郎に負けた場合: 相手が勇次郎では仕方ない(負けて当然)
・Aというキャラに負けた場合: Aは強いけど勇次郎ほど強くはない(もう一回やれば勝てるかも)
このように、ちょっと表現は悪いが「言い訳」が簡単にできてしまう。あとは次の復帰戦で鮮やかに活躍させれば、もう誰も花山や独歩の敗北を気にしなくなる。カッコ良く負けることができれば、この世界では勝ちなのだ(反対に負け方が無様だと以降の出番はほぼ絶望的)。
また、わざわざ最強クラスとして描かなくても、勇次郎に一撃浴びせる、勇次郎から一言褒められるだけでも、そのキャラが十分強いということが読者に伝わってくる。それもこれも「勇次郎が最強」という設定の恩恵と言えるだろう。
連載スタートから21年、基準となる勇次郎自身がややインフレ気味にパワーアップしてしまったが、依然としてこの“天井理論”のメリットは健在である。