堀米ゆず子 無伴奏ヴァイオリン・リサイタル

今から40年前の1980年、堀米ゆず子はエリザベート国際コンクールで優勝した。
“日本人で初の快挙”、“堀米さん 日本人で初栄冠”などの見出しが新聞各紙に並び、“欧州各地から演奏依頼続々”と期待を寄せる見出しから、“無名から世界へ”とズバリ書き放つ紙面まで、当時の新聞を見返すだけでも面白い。

まだメールもインターネットも無かった時代、ヨーロッパははるか遠い国だった。西洋伝統音楽であるクラシックを、しかもその本場で東洋人が奏でることは、2020年の今風に言えば、はるかに“ハードルの高い”ことだった。その高いハードルを乗り越え、時にはおそらくなぎ倒し、優勝を果たした堀米は、以後、世界へと大きく飛翔する。

真に音楽を欲する堀米は、オーケストラとの共演でソリストとして活躍するという華やかな舞台に固執せず、地味と揶揄されることも多い室内楽への探求心を持ち続けてきた。
ルドルフ・ゼルキン、マルタ・アルゲリッチ、ギドン・クレーメル、ミッシャ・マイスキーなど、文句無しに超一流のトップアーティストと共演してきた日本人演奏家はどれくらいいるだろうか。

その原点には、J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリン曲があり、「バッハは私の背骨、音楽の核」と語ってきた堀米が楽壇生活40年の節目に挑む“勝負曲”は、やはりバッハ。サントリーホールの大きな舞台にたった一人で立ち、バッハに向き合う道を選んだ。

ブリュッセルに拠点を置く堀米は教授として世界各地の生徒を教えてきた。今では日本のオーケストラに客演すると弟子がいて、「堀米先生」という声が聞こえてくることも。演奏活動のみならず、教育活動にも傾けるその熱量は、すごい。
「弟子はいつまでも弟子だからね」と面倒見の良さも評判だ。

当時のコンクールのレセプションは豪華で期間も長く、現地在住の日本人の方に着物を着せてもらって出席していた。二十歳そこそこの日本人女性には非日常の世界だった。ある日、レセプションが終わり着替えようと思ったら自分の洋服がない。いくら探しても見つからず、仕方なくそのまま帰りいざ着物を脱ぎ始めたら、「下から洋服が出てきた!」と豪快に笑う。

あれから40年。にっぽんの“肝っ玉母ちゃん”の底力を、何もかも想定外の2020年、今こそ味わってほしい。

楽壇生活40周年 無伴奏ヴァイオリン・リサイタルを11月11日(水)、19時より東京・サントリーホールにて開催。
チケットぴあにて好評発売中。