3月から新たにスタートする神奈川県立音楽堂での「アフタヌーンコンサート」シリーズ(主催:神奈川芸術協会)に出演する、NHK交響楽団第1コンサートマスター篠崎史紀。「音楽堂はすごく響きのいいホール。客席がせり上がっていてお客の顔が見えるので一体になりやすい。僕が大好きな、サロンの感じがあるよね」
聴衆と奏者が近くで感じ合える小規模のサロン・コンサートには、音楽会本来の醍醐味があるという。今回も、演奏曲目の半分は当日のトークで発表という、親密なサロンの雰囲気を醸し出す。
でも、単なる名曲コンサートにしないのがこの人らしいところ。あらかじめ発表されているシューベルトとドヴォルザークの作品には、「アイデンティティの提示」というテーマが隠れている。
「シューベルトは一生をウィーンで過ごした唯一の大作曲家。ウィーンの“地”の作曲家だから、歌いまわしにウィーン風の訛りが、理屈でなく、当たり前に入っている。自分のアイデンティティをそのまま出せた音楽家だった。
一方でドヴォルザークは、誰に聞いたってチェコの作曲家だけど、実は当時のチェコはハプスブルク家が統治するオーストリア。自分たちのアイデンティティをもぎ取られた民族だったわけです。アメリカへ行って作曲した《新世界より》では、チェコの音楽にアメリカ先住民の音楽を取り入れていますが、あれはドヴォルザークが、虐げられた民族同士の共通点を感じたんだと。僕はそれを18歳でウィーンに留学した時に音楽史の先生に教わった。実は先生自身がチェコから亡命して来た人だったんだけど、『お前もアメリカに占領された日本の人間なんだからわかるだろう?』と言われてハッとしました。その頃、そんなこと考えたことがなかったから」
「アイデンティティ」を切り口にすると、実に対照的な二人の作曲家ということになるのだ。でももちろん政治的なメッセージを音楽で声高に主張するのではない。ゆったりと楽しむ平日午後のコンサートらしく、両者の、愛らしい《ソナチネ》を聴かせてくれる。共演のピアノは若き名手・入江一雄。「作曲家への最大の敬意を持ちつつ、音楽に一番大事な独自性、彼にしかできないことを示すことができる」と、才能を高く評価し、「惚れた」と告白する。
公演は3月12日。あの3・11から10年。今またわれわれは困難な日常に見舞われている。「音楽は記憶の引き出しだと思うんです。聴くことによって、忘れていた記憶を呼び戻してくれたり、それが未来へのスタートになったりする。逆に、だからこそ今、記憶に留めておかなければならないことがあるはず。そうすることで初めて、未来を、夢を考え始めることができる。『夢があるから人生が輝く』というのが僕の好きな言葉。未来へ向かう、その瞬間を一緒に味わえたらいいなと思います」
取材・文:宮本明