CHAI 撮影:中磯ヨシオ

とある夏フェスで偶然初めて見たCHAIのステージに衝撃を受けた自分。後日アルバム『PINK』を聴いてみてもう一度驚いた。彼女たちが歌っているその内容に、だ。

CHAIの音楽のテーマ、そのひとつに“コンプレックス”がある。もしかしたらこれだけ聞いて若干のアレルギー反応をおぼえる人もいるかもしれない。

というか現在32歳である自分も若干その節はあった。思春期の頃ならともかく、今さらコンプレックスって言われてもなあ、なんて。

でも心配無用。コンプレックスという言葉から連想されるステレオタイプなネガティビティは、彼女たちの音楽には存在しない。

ユナ 撮影:中磯ヨシオ

コンプレックスとセットになりがちな、強烈な自意識、劣等感、卑下、自虐、必要以上の卑屈やその逆の開き直り、そういった安直なフィーリングは、CHAIの表現には皆無と言っていい。

じゃあ彼女たちはコンプレックスをどう表現しているのか? ここでこの日のライブMCでの、メンバーとお客さんのやり取りを紹介したい。

「みんなもコンプレックスある?」

「イエーイ!」

「じゃーあなた! あなたのコンプレックスってなに?」(と、ファンを指差す)

(指を刺された人)「声がヘンなところ!」

「えー! アニメみたいな声でかわいいじゃん! よく通るしねー」

「ねー! かわいいよ~」

「ヘンな声もかわいいよ!」

今思い出してもすごいMCだ。このMCに象徴されるように、CHAIの表現に通底するメッセージはシンプルに言うとたったひとつ。

「たとえヘンでも、ちょっと不格好でも、そのまんま、ありのままがいちばんかわいい(かっこいい)よ」

彼女たちはそれを“NEOかわいい”と呼ぶ(どんな敏腕広告マンも思いつけないだろう最高のコピー!)。

でも酸いも甘いも知った(気になっている)大人な(つもりの)俺はこうも思ってしまう。いや、それはわかる。そりゃそうあればいいのになって誰もが思ってるよ。それは当然じゃん。でもそう生きられないから悩むし、傷つくし、苦しいわけで――。

そんな意地の悪いツッコミをしてしまう捻くれ者の自意識を、そのぶっといビートとキュートなメロディ、そしてユーモアと知性たっぷりの言葉で、CHAIはゆっくりとほぐしてくれる。

ユウキ 撮影:中磯ヨシオ

CHAIのライブを見終えると、体と心がいつの間にかすっかり軽くなっていることに気づく。まるでスゴ腕のマッサージ師の施術を受けたあとみたいに。

でもマッサージと違うのは、マッサージは体の調子の悪いところを直しに行く場所だけど、CHAIのライブは自分でも気づかない、普段の生活の中でいつの間にか背負ってしまっている重~いものを、ふっと軽くしてくれるのだ。

その重さこそ、自分の心の中に沈殿するコンプレックスであり、この社会を縛り付ける既成概念なのだろう。

CHAIは、勝ち組/負け組といった言葉がすっかり定着してしまったこの国で、「そもそもその線引きってつまんなくない?」と笑顔で言ってのける。

凝りに凝った写真を加工しまくってSNSにアップし承認欲求を満たす人たち(もちろん自分を含む)に、「それもいいけどさあ、もっとかわいいこともあるんじゃない?」と、フランクに肩をたたいてくれる。否定も攻撃もせずに、目の前に漂うモヤモヤをサーッと晴らしてくれるのだ。

なぜCHAIにはそんなことができるのか。その理由はシンプルで、ものすごく純度の高い「そのまんま」を、他でもない彼女たち自身が体現しているからだ。

外野にとってはすべてが規格外で刺激的なCHAIのあり方は、当人たちにとっては至って等身大の、嘘のない姿なのだろう。だからこそ彼女たちのメッセージには説得力がある。