『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』には、マニアには見えにくい真実があり、ニュートラルな評論を試みれば傑作ーー。
二度観て、1回目と2回目では、まったく異なる印象を受けた経験から、『ウレぴあ総研 ディズニー特集』ディレクターが徹底解説。
※以下、ネタバレに配慮していない内容となります。ご注意ください
あなたが厨二病かどうかで評価は変わる
結論から入りましょう。あなたが、厨二病とどのように付き合っているかによって、エピソード8『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』の印象は、180度変わります。
いや、SFファンタジーなのですから、厨二病だろうがなんだろうが、非難されるべきではありません。「スター・ウォーズ」シリーズとの付き合い方は、個人の自由です。
ただ、思い入れがあればあるほど、見えなくなる部分のある映画ではあります。
私は一度目、「どんなスター・ウォーズが観られるんだろう」と思って、映画館に行きました。そして違和感を覚えました。
二度目、「これはディズニーのスター・ウォーズだ。そうに違いない」との仮説を持って、鑑賞しました。
すると、美しさすら感じられる、希有な構造を持った、傑作でした。
明らかに瑕疵のあるストーリー展開
私は一度目、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』を見終わって、ああ面白かったな、夢中で観てしまったな、という感想とともに、真っ先に覚えた違和感が、スノーク最高指導者の、間抜けすぎる死に様でした。
ええ、本当に、マヌケ過ぎますよね。
ダークサイドの親玉で、まるでカイロ・レンを子ども扱いするかのようなスノーク最高指導者は、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』では、多くが語られず、ほとんど姿も見せない演出によって、底知れない強大な敵という印象でした。
が、傲慢さゆえに目が曇ったのか、カイロ・レンを読み切れず、あっさりと殺されてしまったわけです。
なんじゃこりゃ、アイツは悪の親玉じゃなかったのか、と拍子抜けした観客は、少なくなかったはずです。
これは、物語の作り方としては、かなり雑な悪手に見えます。
話を無理やり前に進めるために、ご都合主義で、強引に殺してしまったんじゃないのかと疑われても、仕方がないでしょう。
これは飽くまでも一例で、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』では、こんなとってつけたような展開、登場キャラがアホだったと解釈せざるを得ないような強引な話の進め方が、随所に見られます。
「スター・ウォーズ」とはこういうもの、という先入観
蓋を開けてみたら、何も無かった、あるいはガラクタでしかなかった。
『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』では、こんなシーンが、続出します。
いや、続出するというよりも、映画全編を通して、大きなテーマとなっている、と言っていいでしょう。
私は一度目、「どんなスター・ウォーズが観られるんだろう」との思いで、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』に向き合っているわけですが、これは言うなれば、「スター・ウォーズ」シリーズに先入観があったという事実に他なりません。
それほど熱心な「スター・ウォーズ」ファンではないのですが、それでも、「スター・ウォーズとはこういうもの」というイメージがあり、それを求めて、映画を観たわけです。
特に、エピソード7『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』が、旧3部作、プリクエル3部作を踏襲しつつ、現代的エンターテイメントとして、あるいはディズニーらしい方針で、リブートしたような作品であったため、よりその思いは強かった面がありました。