――ヴィジュアル系って元々ファンコミュニティが強固じゃないですか。私設ファンクラブの集会やミニコミ、文通などいろいろな交流ツールがありましたけど、バンドとファンのコミュニティは別々だった。それがインターネットの時代になると、垣根がなくなって、バンドとファンが同じ土俵に立たなくてはならなくなったと思うんです。バンド側も昔はマスメディアから発信していればよかったのに今はSNSやブログを使わないと受け手に見つけてもらえないですよね。宣伝費がかけられないインディーズバンドが多いヴィジュアル系バンドならなおさら。
市川:それは音楽マスメディアの没落にも言えることだよね。手前味噌じゃなくて、かつてのV系を盛り上げたのは音楽雑誌。私みたいな音楽評論家が「俺様」なバンドマンと同じ土俵でインタヴューをして、鬼のようにツッコむと彼らもパブリックイメージから外れた素をのぞかせる。するとそれを読んだ読者はバンドマンの素顔にも触れて盛り上がる、みたいな図式があったじゃない。いまならTwitterでバンドマン自身がやってることを、昔は我々や雑誌が代わりにやってあげてたわけだよ。逆に言えば、それが全部ネットで完結しちゃう時代に音専誌が売れるはずもない。わははは。
昔ながらのバンド対ファンのコミュニケーションの図式は、もう完全に焼け野原なわけ。だからバンドは、ファンに対して下手に出るしかなくなってしまった。でも自分だけで発信しても、考えが浅いから決してバンドの潜在的な魅力を発掘できはしない。するとバンドもどんどん小ぶりになる。そりゃ地味になっていくよねぇ。
ところが鬼龍院は、ちゃんと考えてゴールデンボンバーをやってる。タイプ的にはキリトやHIDEだよね。彼はV系を自らおちょくることで、活路を見い出した。やっぱバンドには頭いい奴が一人、絶対必要なのよ。性格は全然違うけど(笑)。
――ヤンキーや体育会系ではなくやっぱり文化系というかオタク気質ではありますよね。
市川:うん。ゴールデンボンバーは地方色とかヤンキー色、体育会系色が一切ない初めてのV系バンドなんじゃないのかな。
――市川さんは著作でも「ヴィジュアル系とは地方のヤンキー文化だ」みたいな話をおっしゃっていたじゃないですか。実際90年代の人気バンドのメンバーはほとんど地方や東京近郊出身ですし。だけど鬼龍院さんは東京出身でネット文化にどっぷりという意味ではこれまでのヴィジュアル系とはまったくイメージが違いますよね。
ただ、2000年代以降、ナゴムの影響下にあるような人たちが、「化粧してる」ということから結果的にヴィジュアル系の枠におさまってるようなバンドが出てきてたんです。「きわもの系」、あるいはあまり定着しなかったけど「ネオナゴム」と呼ばれていたような。その延長線上にあるとは思うんです。
市川:なるほど。やってることはかつてのナゴムっぽいもんねえ。ゴールデンボンバーのいまの立ち位置は、大槻ケンヂがかつて狙ってたフィールドかもしれないね。ただ、いくらあの「ロック精神論くそくらえ」の大槻をもってしても、「さすがに音だけはちゃんとしておかないと」的な強迫観念からは逃れられなかった。だから筋肉少女帯はあれだけのウィットに富んでいながらも、音がちゃんとしすぎててマニアックで、一般的には全っ然売れなかった。そうか、ゴールデンボンバーはちゃんとしてない筋少だったのか(笑)。というかその「何をやってもいいんだ!」的な発想が、文系の発想そのものなんだろうねきっと。
――そういえば、ゴールデンボンバーのフォロワーって現時点では生まれてないんですよね。ヴィジュアル系って例えばLUNA SEAがブレイクしたらそのフォロワーがボコボコ生まれてくるのがセオリーだったわけじゃないですか。
市川:でもそれは仕方ない。だからこそ「最後の」V系後継者だと思うなぁ。ゴールデンボンバーフォロワーは出てこないし、そもそも出てこられない。二番煎じが成立しない芸風だもの。そもそも勘違いしてもらっちゃ困るのは、ゴールデンボンバーが売れたからといって「V系がさらなる展開へ」というのはありえない。彼らはV系の終わりを告げにやってきたんですよ。
でもさあ、こういう世知辛い時代にはつくづく文系が似合うよねぇ。ヤンキーや体育会系は、華やかで賑やかなバブルの時代じゃないと駄目なんですよ。
――でも、これから景気も上向きになるらしいじゃないですか。その時代に呼応するヴィジュアル系がでてくるかもしれないですよ(笑)。
市川:わはははは。私はもういいです。