「フキハラ」をするのは“弱い”から
何だか怒っている人を見れば、「何かあったのだろうか」と心配したり、なかには「私が何か悪いことをしたのかな」と不安になったり、つい声をかけたくなりますよね。
「何かあったの?」「大丈夫?」と言うと仏頂面で「別に」など素っ気ない返事をよこし、そんな姿がさらにこちらを追い詰めます。
それにも構わず態度を改めない、自分が満足するまで相手に機嫌を取らせようとするフキハラは、付き合っていくほどにこちらの自尊心が削られていくため危険です。
考えたいのは、自分の感情を上手く扱えずに他人を頼って何とかしてもらおうとする心は幼稚であり、成熟した大人ではないという事実。
わあわあと駄々をこねて誰かに頭を撫でてもらいたがるのは子供の振る舞いであって、社会に出てからもそんな自分を平気で見せられること自体が心根の弱さの証拠です。
怒りを持つ人は威圧感があり怖いなと感じますが、「弱いからこんな姿をさらしてしまえるのだ」と思うのが正解。
年齢と相応の心を持つ大人なら、自分の機嫌は自分で取るのが当たり前です。
相手の弱さに向き合わない
他人を大事にしたいと思う人ほど、機嫌の悪い人が目の前にいると「何とかしなければ」と関心を向けがちです。
ですが、不機嫌なのは相手の問題であり、たとえばその原因が自分との衝突や喧嘩であっても、それをどう感じてどう対処するかは相手が自分で決めないといけないこと。
不機嫌の原因を自分にあると受け取ると、その解消まで自分の責任だと思ってしまいますが、それこそフキハラをする人の目的です。
「あなたのせいなのだから」と無言でイライラを出してきては「早く機嫌を取って」と迫るのは、そうやって大切にされる自分が見たいからであって、他人の力を利用して自己愛を満たすことと同じ。
「自分の感情を自分で扱えない弱さ」は相手の問題であり、それに向き合うと「何とかしてもらえる」実感を得た相手はどんどんこちらに依存してきます。
自分と他人の間にしっかりと境界線を引ける大人は、不機嫌の原因を見つめる強さがあります。
問題の解決を考えるにはエネルギーが必要であり、そのしんどさから逃げているのがフキハラをする人の実態と思いましょう。
その弱さに向き合うのではなく、「私の問題ではない」ときっぱり割り切って関わらないことが、自分のためでありその人との正しい境界線を作ります。