小器用じゃなくて、不器用でもいいから

アーバンギャルド・おおくぼけい(Key)

――さて、おおくぼさんも到着したところで本格的にニューアルバム『少女フィクション』のお話を伺いたいと思います。

松永:最初に「これまでのアーバンギャルドの歴史を一回全部忘れよう」って言ったんです。

何年も活動して、何枚もアルバムを出すと「こういうものは前にもやったんじゃないか」とか「こういう曲はあったしな」というのが当然出てくる。そこに自分たちががんじがらめになっていると感じていた。一旦そういうことを考えずに、作りたいものを、作ってみよう、がむしゃらにと。そこからスタートしましょうという話をしたんです。

おおくぼ:僕は後からアーバンギャルドに加入したので、アーバンギャルドに対する批評みたいな作品を作っていたんです。

浜崎:その中でも「もっとこうすればいいのに」という部分に手を加えていただいたというか、「この曲すごくいいんだけど、音楽的にここがもったいない」みたいなことをおっしゃってくれていたんですよ。それをより、音楽的にしていただいたところはあると思うんです。だからおおくぼ様様なアルバムですね。

――なるほど。

浜崎:諸先輩方のインタビューを読んだり、お話をうかがっていると、若い頃すごくこだわっていた部分が、年齢を重ねるごとにこだわりがなくなったという話をされていて。確かに自分も昔だったら頑なにこだわってた部分をスルーできるようになった。それによってテンションの高い、初期衝動のような作品を作ることができたと思います。

毎回「初期衝動みたい」とは言われるんですけど、それを上回る初期衝動みたいなアルバムになっちゃって。良い意味で力が抜けたというか、力むとなんでも良くないっていうじゃないですか。掃除とかも(笑)。歌もそうなんです。喉が締まってしまっては声が出ない。力をふっと抜くとすごく遠いところまで行ける。良い意味で力が抜けた分、力が倍増しているアルバムになってる。

松永:さっき初期衝動という話が出ましたけど、本当に今回アルバム全体が「若い」です。それは「青い」という部分だとか、若干荒削りな部分もあるのかもしれない。今の自分たちにこういうものが出てくるんだという驚きもありますね。若さに満ちているし、少女的な繊細さを伴っているかもしれない。

アーバンギャルドが作ってきた、描いてきた少女というものが、フィクションであって物語であって、あなたの中にはいないんだよ、ということを今回はじめて歌詞にもしたし、表現できた。さっきも言ったようにくだらない嘘くさい、虚構ばかりの世界で、その中でどうやってリアリティを持って、地に足をつけて行きていけるかということを問いかけたつもりです。

瀬々:アーバンギャルドが10周年、バンドとしてはそろそろベテランの域だと思うんですけど、今回出したアルバムは、衝動的で若い。若々しさがめちゃめちゃあるなと。その皆モチベーションを保ちつつ、こんなテンション高いものが出せるのは本当に10年目のバンドとは思えないくらいなんだけれども、ファーストと比べると音楽的なレベルは上がっている。荒削りな部分もあるという面白い作品ができたなと思っています。

根本的には1stともコンセプト、土台の部分はあんまりブレてないんですけど、10年経って新しいアーバンギャルド、懐かしいアーバンギャルド、いい意味で原点回帰できましたね。

――洗練されてると感じました。

瀬々:アーバンギャルドって、結局こういうことをやりたかったんじゃないかな。若くて荒くて、でも洗練されている。

浜崎:うちの母にも音源を聴かせたら、たしかに「垢抜けた」と言われました。前作の『昭和90年』は、わりと小器用にやっていましたし、内容的には暗かったですし。

――震災の影響が濃かった『ガイガーカウンターカルチャー』、そして『鬱しい国』から『昭和九十年』は、戦争を暗示させるような内容でしたし。

松永:円熟してたよね。ビターなものを作ったというか。そこで一段落したなと。

おおくぼ:今回はそこから、小器用じゃなくて、不器用でもいいからという気持ちが制作中に出てきましたね。僕が入ってちょうど3年くらいになるんですけど、前回は「あれもやりたいこれもやりたい」だったけど、今回は「アーバンギャルドこういうのやろうぜ!」みたいな。

「くちびるデモクラシー」MVはこちら> https://www.youtube.com/watch?v=k9xlflY-PH8