5: 自分も追わせることをしない
相手が「追わせる恋愛」を望んでいる場合、それに向き合わされているといつしか「自分も」と相手の愛情を試し行為で確認したくなります。
屈折してしまうのはそれだけ我慢やストレスが溜まっているからで、自分がされて嫌なことを相手にしても自尊心を失うだけ。
自分の「好き」を大切にできる恋愛が幸せなら、相手と同じく「追わせる恋愛」を求めることは、かえって自分を傷つけるといえます。
「私が同じことをしても追ってきてくれるかな」とひねくれてみても、たいていは抵抗や反発が返ってきて思い通りにはいかないものです。
追わせたい側は自分が追う側になるのは嫌うので、叶うはずがないのですね。
互いに「追いかけたくない」と背中を向けるようなお付き合いが幸せとはとうてい呼べず、試し行為はどんなときでもどちらにとっても毒、やりたくなったらその自分の異常さに気がつくのが賢明です。
まっすぐに愛情を向けられなくなったとき、そこには与える一方で報われない自分の思いがあるはずで、それを追わせることで取り戻そうとするのは、自分も相手に依存しているといえます。
互いの愛情を奪い合うことが当たり前になるのが共依存であり、痛みばかりが募る関係になる前に、潔く離れるのが自分を大切にする選択ではないでしょうか。
「追わせる恋愛」は自分をないがしろにする
相手が「追わせる恋愛」をしたい人で苦しんでいたり、自分が相手に追わせたがって苦労していたり、バランスの悪い関係に身を置くとあたたかい愛情は育ちません。
同じ目線で人と向き合う勇気を持てないのが「追わせる恋愛」をしたい人で、刺激を得て特別感を覚えても、結局は「与えてもらうもの」なら相手しだいになるのが真実です。
相手が追いかけてくれない限り愛情を実感できないのが「追わせる恋愛」をしたい人の現実で、実際は自分をないがしろにしているのですね。
それに向き合うほうもまた、対等でない愛情のやり取りに疲れてしまい、自分を犠牲にすることをいつしか放棄します。
せっかく芽生えた愛情をともに失っていくのが「追わせる恋愛」の真実で、幸せとは感じられません。
好きな人だからこそ信頼を大事にしたいと思うのは当たり前で、それを拒否するような相手の姿を見れば、関係を諦めるのも深い痛手を避ける道です。
自分にとって幸せな恋愛とはどんなものなのか、それは相手のどんな姿勢によって叶うものなのか、「ともに努力する」ができない人とは続かないのが正常ともいえます。
自分のありのままの愛情を大切にできるのはどんな恋愛か、もう一度考えてみたいですね。
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相手が「追わせる恋愛」を求めている場合、たいていは「愛情を伝えるけれど愛されている実感を与えてもらえない自分」を避けられなくなり、関係は破綻します。
自分が追いかけない限り成立しないつながりが果たして安心できるものなのか、どれだけ好きでも立ち止まる勇気を持ちましょう。
恋愛は相手がいてこそ叶うもの、それならお互いの「好き」を一緒に育てていけるような人が、長続きする関係では重要です。